12/19/2009

変化を欲す

1989年、KINO(Viktor Tsoi)作曲、アルバム《Poslednyi Geroi》より。

いけね、一ヶ月以上も怠けちまった。

ウクライナの研究出張がパーになってしまい、
ビザの書き換え等で研究が一ヶ月ストップし、
怒涛のように時間が過ぎたら師走。

書き換えのため短期間日本滞在中。

金が頗るかかる国ですわ、日本は。
電車代が高いよ。
とはいえ、助けていただける縁もない。
ヴィザを受け取るまでの間、日本での生活のため、
バイトする羽目になるとは…

早く生活変えたいぜ
てなわけで、標題の曲。
ペレストロイカ只中のレニングラードから登場したロックバンドKINO
メロディーラインは、the smithやnew orderに近いものを感じる。
PVに手話を用いているんだけど、下手なビデオアートより俄然イイ。
やはりzeit geistなんですかね~。こういう曲が当時支持されたのは。


10/31/2009

祈りなどは無駄、左腕に仏陀、右腕で弾き出す内部コンピューター

2000年、DJ Krush『Code4109』の『chie no wa』より。

イチローや松井(秀)もいいが、アメリカで侍と言えば、
彼を挙げずにはいられない。

DJ Krushは曲自体の完成度の高さもさることながら、
彼自身がプレイするDJスタイルも完成度が高く、
かつほとんどが自分でリリースした曲でプレイするという。

その中でも、あいも変わらず押し付けがましいが、
トランペッター近藤等則とのコラボ『記憶』(下)は褒め称える表現がみつからん。



つーか、他の学生みたくクラシックコンサート聴きに行けっつーの。
外国人にdenkigrooveDJKrushばかり薦めてっから、
ただのクラブ好きと認知されているみたいだ。

いちおう研究者の卵(自認)ではあるが。

10/27/2009

Apartment House 1776

J.ケージ作曲、1976年。

3年前に津田塾大学の講堂でアルディッティ弦楽四重奏団と白井剛(振付家、ダンサー)のコラボを観たことをふと思い出した。

この曲の本来の意図はアメリカ建国当初にあった教会音楽やマーチ等を断片的に集め、方向性を持たないまま全体が流れていく静謐なるハーモニーを狙っているらしい。

観賞後、酒を呑みながらとあるキュレーターが「アメリカという国家の雑多かつそれらが絶対混じりあえない風景を投影している」と述べていたが、その意見に乗る。

先週、息抜きがてら郊外に旅行したんですが、
列車で旅行中に話しかけられる。

子供をつれたマダムでしたが、「あんたイタリア人(どこがやねん!)?」
「いえ、違います」
「あーイタリア人だったら、旅行の話ができたのに」
「そうですか、残念ながら僕はイタリアには行ったことないですが、イタリアの建築は勉強してます。」
「あー勉強の話なら、いいわ。モスクワまで寝てるから起こしてね」

-会話終了。
うーん…
こっちの話きけよ。
「多様性」の国ぢゃねーのか。

この国はそんな国だと改めて実感。
マルチプルなんてこんなもんですぜ。

10/19/2009

雨が続くと仕事もせずに、キャベツばかりをかじってた

1974年、かぐや姫シングル『赤ちょうちん』より。

最近、滞在先はめっきり冷え込み、雪はまだ降らないが五月雨のような雨が断続的に降る。
入所試験に受かったものの、すぐに博士候補生試験を受けることになり、
結局自分の研究はストップ。
外国語(英語と私の場合はロシア語の二つ)と哲学(!)
しかも明日が試験なのに、この内容を聞いたのは先週の木曜日。

この哲学というのが曲者で、べつに込み入ったものではなく、
一般教養としての「哲学」のため、研究所が提示する哲学者の中から、
任意でこちらが選んでその哲学者の概要と自分の見解、自分の研究とどう結びつくかなど、
プレゼンしろだとさ。


人生で初ともいえるほど、勉強(ほとんどプレゼンのための暗記)ばかりしている。
暗い生活。学生寮に住むほかの住人は、週末クラブ通いだっていうのにな~。
連れはいませんが、どことなく暗いが青春だと思ってタイトルの歌詞を思い出す(下)。



とりあえず、若いから頑張れるとでも思っておくか。

10/05/2009

豚骨のスープを塗りたくり、鳩などを呼び寄せて、小学生集めて得意顔。

すばらしい歌詞。

2009年、電気グルーヴ、アルバム『20』より『エンジのソファー』(下)。



来週の木曜に入所試験を控えているのに、こんな動画ばかり見て、
母国に郷愁を抱いております。

相変わらず、電気はすごいと舌を巻いている次第です。
俺が小学生の頃からやっているのに、
新鮮さ見事に保つこのクオリティ。

研究においても、自らの考えを常に新鮮であるかのように、
否、核になる部分をいかに新しく見せることができるかと
これを見て一石投じられた気になった。
非常に参考になる。


まぁ、無意味な思索だな。
だって全く日本語しゃべる機会がないんだもん。
ついでにこんな画像も↓



漫画家の天久聖一によるアナログなクリップだけど、
これもすばらしい歌詞。
彼らは日本の誇るべき『king of pops』である。
と寮に住む外国人にプロパンガンダしております。


さ~テスト勉強しよっと。

9/21/2009

僕らはアトムの子どもさ

山下達郎、1992年(下)。



浦沢直樹ブームに便乗して、
アトムを引き合いに出したいところですが、
《イオファンの子》という建築家グループがモスクワにいる(下図が代表作)。



今週の水曜夜半に無事モスクワ入り。
一年前に住んでいた寮に一年間だけという条件で、住居を確保し、
早速情報収集。

出発直前まで研究と学会誌の編集に追われモスクワの建築ならびにアートシーンを全く知らなかったので、これらに関する雑誌を買い漁る。

その中でわかったのは、どうやら来週から第三回国際モスクワビエンナーレが始まるということ。
もうひとつは、自分の研究に関わるんだけど、《イオファンの子》という建築グループがおり、1930年代ないしクラシック建築様式を惜しげもなく利用し設計を行う若い建築家が増えているということ。

説明しておくと、イオファンという建築家はかの《ソヴィエト宮殿》コンペの最終案(下は1931年の原案)に選出された建築家で、その後も1937年のパリ国際展覧会のソヴィエトパヴィリオンを担当したりして、ソヴィエト建築史におけるいわゆる「全体主義建築」の中で重要な位置を占めた建築家。




ビエンナーレは今住んでいる寮の学校も会場になるから、まぁ自然と接するだろうとして、
二つ目が非常に気になる。一年前では、建築美術館の館長が「まぁ、アメリカとドイツで熱い研究だからね~」と言っていて、「モスクワはまだその熱に冒されていないよ」なんて言っていたが、膾炙したということか。

ビエンナーレでは「ペーパー・アーチテクチャー」というプロジェクトが開催され、1920年代のアバンギャルド建築の流れを汲んだ1980年代のソヴィエト建築、つまりほとんど実現しなかった(というか実現が目的ではなかった)建築のアーカイブとそれらの設計図が展示される。だから、二つの事は結局表裏一体という形で結びついている。

今度の火曜日に受け入れ先の指導教官と面接して博士論文の方向性を決定するとのこと。その際に聞いてみるか。

つーか面接対策しないとマズいなー

話の落ちとしては、「誰もが夢見る」ものの代表ということで。
というか、小松崎茂が描いた未来図っぽい(下)。

9/15/2009

焦らず、じっくり、コトコトと…

ってスープの宣伝かいっ!


というご助言を賜った。
生来、スロースターターなんで「仮想敵国」ではないが、
期日とか決めてあらゆるものに取り組んでいたが。

身体は拒否反応、そのため帯状発疹。
やっと痛みは治まったものの、
お医者さんから大量のプレゼント(下)




餞別だそうだ。
つーか、荷物が増えるっちゅうねん。

まぁ、人生いい方向にむかってるっちゅうことで
好きな曲の一つを貼り付けときます。

9/06/2009

帯状疱疹になっちまったよ

突然発症です。

一昨日から、
腋の下が異様にかゆく「汗疹かな?」と思っていたら、
翌日、右上半身腹部が何をするにもチクリと痛い。

友人に拠れば「リンパ腺の腫れじゃん?」とのことで、
日曜診療を受け付けている近所の診療所へ。

症状を説明すると、「仕事頑張りすぎじゃないっすか?」とお医者さん。
とりあえず「まぁ、そんなとこです」と話しを合わせ、聞いていると、
「仕事のストレスから来る免疫力低下で、幼少時にかかったウィルスが再発」しているらしい。

ちなみに仕事盛りのサラリーマンによくある症状らしいので、
バリバリ働いている人は注意ですな。
つーか、何で俺?ニートに属する人間が(笑)。

確かに助成採用時から受け入れ先にほぼ毎日電話、
ビザ確認、住居手配、今度投稿する論文、とある学会誌の編集、
学校の事務処理、受け入れ先への提出書類と
普通のリーマンがこなすような仕事より楽なはずなんだけどな。
睡眠時間があまりにも少なかったんで、まぁ休めという体からの信号なんでしょう。

投薬で4-5日で直るらしいけど、痛い。
何とか渡航前には直せるようだけど、
痛すぎて、息するのもつらいんです。

こんな時に限って…

まぁ、夜に読書時間が増やせると思って病気と向き合います。

8/22/2009

change of life

1992年、ジェフ・ミルズのCDアルバム《Waveform Transmission Vol. 1》中の一曲



耳に残るミニマルなサウンド。
「ゴリゴリした音」っていうのは、
まさにこの曲を表現するためにある言葉使いなのだなと、常々思う。


この年にデトロイトから発信され、いわゆるテクノ・ミュージックにおけるマイルストーンとなる《Strings of life》(rythm is rythm名義、デリック・メイ)に対する応答で創り上げられたらしい。
さしづめ、場外インタープレーってとこか?



まぁ、そんな前置きはいいとして、
ほぼ日帰り(20日深夜(24時くらい)から21日の夜19じくらいまで)で越後妻有アートトリエンナーレに行ってきた。
2-3の作品しか鑑賞できなかったが、C.レヴェックの《静寂あるいは喧騒の中で》(2009)はやはり印象に残った。

静寂と喧騒という対立概念が作品名に混在し一方を選択することで他方が解消されるから、
その場に生じる現象はそのどちらでもないという論理になる。
だけれど、鑑賞するという行為は、感覚や論理そのほかの作用を総動員するから、
様々なレイヤーからの判断が生じる。
だから、意味という一つのフェーズからなる「タイトル」をいい意味で裏切ってくれる。
まぁ、このことって見ようによっては他の作品にも言えること。

でも、そうした蓋然性を越えてインパクトを与えてくれたのが上記作品だ。
つまり、聴覚と視覚のインタープレー。
ちと強引な繋げ方かな。




もう少しつなげれば、このあとに見たC.ボルタンスキーとJ.カルマンの《最後の教室》(上:2006)の雰囲気と似てるというか、静寂なんだけど作品に付着する物語が鑑賞者を飲み込む形で視覚と聴覚に訴えてくるあの「ゴリゴリ感」。


レヴェックの作品がボルタンスキーの影響を受けたかどうかわからないけれど、
何か「インタープレー的」なものを感じた。

考えすぎかな。

8/11/2009

ああ くずれてしまえ あとかたもなく 流されてゆく

1978年、八神純子『みずいろの雨』より。



歌声がいいです。
やっぱラテンなんだよね、ベースは。
歌謡曲という仮面を被ったラテン。
これって面白いテーマだな。研究と並行して探求の価値アリ。

でいろんな人がカバーで歌っておりますが、PE'Z堤智恵子がカバーしているのが好き。

前者はなんか祭りっぽい。
やっぱ2002年ワールドカップの時の感じがいい意味でも悪い意味でも抜けていません。
学部時代の時、毎日友人の家、研究室、飲み屋で観戦後、この曲をよく聴いておりました。
後者は、Aメロのときのベースラインがいいんだよね~。
曲の徐々に盛り上がっていく展開も素晴らしい(歌謡曲調→サンバ:すごいな!ライヴバージョン)。

さて、前回書いてから一週間激しく動き回った。
まず、入学先の研究所から連絡が来ないので直接電話。

「ヴィザ用の招待状そろそろ来てもいいと思うのですが…」
「え、担当者変わって聞いてないわ。今から招待状作るから!」
「…」
「9月末くらいからのヴィザになるわよ」

パニックです。間に合わない…入学期間に。
月曜から木曜まで5時間の時差にめげず、毎晩電話。交渉。
毎晩架けるうちに担当のオバちゃんと仲良く(電話越し)なり、何とか好意を持ってもらうのに成功。
9/15からのヴィザになるよう手配してもらう。

しかも、このヴィザセクションと入試課が連携しておらず、必要書類についても一苦労。
入試課の人が休暇中らしく、携帯を教えてもらい、架電。

「すんません、休暇中…(中略)~が入試に必要な書類ってことでいいんですよね」
「そう。~はこっちでないと揃えられないから英語版の修了証でいいわ。もー、とにかくこっち(留学先)に来て話しましょう」

簡単に行けたら行くっちゅうねん!
ビザがいつ手に入るかわからんので、航空券も買えず…
果たして、本当にあちらで研究が始められるんだろうか。

タイトルの歌詞ではないけど、溶けたい。

8/08/2009

きらきらきらきら~しょわしょわ~

先日、博士号取得に関する例の奨学金が認可された。
以前は文部科学省が引き受けていたやつ

クビがつながった~。
これが第一声(人前でね)。

あ、上記のわけわからんタイトルは1982年、コズミkック・インベンションの『コズミックサーフィン』の最初の歌詞ね。



前回の近田春夫(作詞を手がけているらしい)つながり。
それにしても、なんというか。
色んな意味ですごい。
80年代のゴチャゴチャした歌謡界を象徴しているというか、ジャンル別棲み分けがなく混ぜたものを体現したという感じの曲。

で、とりあえず、パスポートを更新。
何を準備するのかと手紙を確認したところ、明らかに現段階で揃えられないものが。
ヴィザと入学許可書だ。

入学許可書は、前回落ちた奨学金のものを使ったので、「入学を受け入れる準備があります」となっており、やっぱりきちんとしたものをということらしい。
とりあえず、学校の留学生課の人に事情を延々二時間話して、ナントカしてもらう。

ちなみに、「かの国」はヴィザ取るための「招待状」が必要で滞在先にお願いして、送ってもらって在日大使館で申請→ヴィザ取得となる。
その「招待状」が手許にないんす!
というか今あちらは休暇中らしく、連絡が取れん…

どこに、この先が~続いているのかわっかならないー

1973年、ザ・ピーナッツ『情熱の砂漠』より。

原曲の歌謡曲調もいいんだけど、ハードロック調にカヴァーした近田春夫&ハルヲフォン版がすごくいい。



近田春夫について、ここで述べる必要はないが、日本の歌謡曲について論じた『考えるヒット』を読むと彼の音楽観がよくわかる。

的確、かつキャッチー。
これ以外に重要な要素。

それにしても、あることでいい結果をもらえたんだけど(次回に記載)、
上記の歌詞みたいに「先行き不安」。

タバコの本数が増える。

7/29/2009

都市計画で~夢の街。着々できるビルディング。

1982年、ゲルニカ『改造への躍進』より「復興ノ唄」(下)歌詞の一部。
かのピカソの作品と間違えぬよう。




バイトもなく、いそいそと論文執筆と査読通過した論文のチェックがてら、youtubeをうろうろしていたら、上記の曲に出会ってしまった。

細野晴臣がプロデュースしていたことは、ぼんやり知ってましたが、
戸川純がメインVOというのは初めて知りました。

音なんだけど、モロにコンピューターゲームの音(ファミコンの『ギャラガ』っぽい)。
当時の細野先生の意向が100%反映されている感じがします。
いやー、なんともレトロちっく。
音に耳を奪われるが、戸川の「レトロ風」な唄いっぷりも見事。

本来だったら、the SmithとかNew Orderの系譜に並べられる80年代ロック対抗馬の日本ロック金字塔の一人(褒めすぎか?)なのに。

サエキけんぞうがかつて結成していたハルメンズのカバー等に代表される楽曲が素晴らしい。
(ex:『昆虫軍』。ファッションがいかにも…)
どことなく、Guns N' Rosesの『The Spaghetti Incident?』を彷彿とさせます。


歌詞の途中で「走るアメ車に投げキッス」なんてあるんだけど、こんな絵画(下)が思い浮かんだ。



Yu.ピメノーフの《新モスクワ》(1937年、トレチャコフ美術館蔵)。
復興ではないけれど、タイトルにある「都市計画で夢の街」が1935年から始まって「着々と」ビルディングや道路、インフラを整えていった。その様子をピメノーフは「将来あるべき好ましい姿」で描いた。
つまり現実そのままを描いたわけではない。

ちなみにこの車の風景から、車が走っている場所は、
かつてKGBがあったルビャンカ広場を少し南西に下りたところとボリショイ劇場前を通っている幹線道路。
この道路はクレムリンの脇に流れて「イリイチ大通り」(当時)となって、
最終的には《ソヴィエト・パレス》(未着工)へと至る。
そう、運転している女性が向かうのは、前方にうっすらと見える白いビル、《勤労防衛会議ビル》(今は国会として利用されている)よりも高い《ソヴィエト・パレス》であり、その姿は道路の消失点の先にありまだ描かれないことによってまだ見ぬ期待の高鳴りが重ねあわされている。

確か、森美術館の館長を務めたD.エリオット氏も「淡い色彩によって詳細を描かないことが、情景をぼやかすだけでなく『夢見心地』をうまく表している」なんて言っていたような。あ
この絵画だったら「スローガンに彩られた旗がたなびく~」とかになるんだろう。

これがルビャンカ広場から北に(絵画では南西)行けば、『復興ノ唄』にある建物と似たビル(下:A.シチューセフ《農業人民委員ビル》(1928-32))に向かうんだけどなー

7/19/2009

急転直下

仕事クビ。

この前の火曜日に宣告され、その週の「金曜日にやめてくれないか?」と言われた。
うわっ。
これって流行りの「不当解雇」ってやつですな。

「ある助成金がおりたらやめます」と申していたので、まぁ時期が早まっただけ。
とはいえ、今月末まで働く意志を伝えていたので、腹立たしい。
いちいち怒り狂うのも、アホ臭いので、その日から仕事サボタージュ。

こっそり隠れて、Youtubeでヤクザ映画を見尽くす。
最終日には、同じ軒を連ねる別会社のオッサン達に餞としてご飯をご馳走してもらう。
まぁ捨てるナントカあれば拾うなんとかありですわ。

そのやめさせられた日に、例の最終面接の連絡を受ける。

7/07/2009

締め切り間近の悩み

いやー、実は今人生最大の岐路に立たされていて、
とある外務省の外郭団体から「在ウクライナ日本大使館」で契約社員で二年働かないかって今日声がかかった。

専門調査員ってやつです。

金(危険地手当て+給料)はべらぼうによいのだけれど、
研究からは全く遠ざかる(分野外の政治・経済情勢の専門調査員)。
つーか建築史なのに、なぜ?
該当研究者なんじゃないのか?

まぁ、拾って下さる人がいらっしゃるのだから、ありがたい事です。

ウクライナだと川喜田煉七郎(下)が入賞した《ウクライナ音楽劇場》コンペがハリコフで1930年に行われている。



仕事の合間にそういった資料を集められれば…
というような仕事ではないらしく、経験者談ではかなりハードとのこと。
休みの日は寝ていると。

例えば、自分に家族とか恋人とかいて今の状況だったら確実にこの話は受ける。
だがそういったものはないし。
一番のネックは今応募している奨学金と時期がバッティング(面接と試験日)なんで、きちんとその旨を伝えなければ。

金か研究かだね。
締め切りは10日まで。
ちょっと悩むかな。
というか12時間内にだ。

6/29/2009

M.Jに捧ぐ

これ↓



セニョール・ココナッツのカバー。詳細わからず。
彼にはこんなラテンで唄って欲しかったんだが…

冥福をお祈りいたします。
今更ですが。

6/13/2009

鉄砲玉の美学

1973年、監督:中島貞夫、脚本:野上龍雄(下)。




ヤクザ映画なんだけど、頭脳警察が音楽を提供していて、カッコいい。


オープニングのバックとラスト近くのシーンで主演の渡瀬恒彦が警官に発砲して、逃亡する際に流れる「ふざけるんじゃねぇよ」(下:オープニングのシーン)。
秀逸です。



このオープニングも結構いい。
パンタのカッティングギターとシャウトが、モンタージュショットで食→排泄→性に向かうシーンの進行具合と妙に絡んでいる。怒りの増幅が生命活動のアウトプットへと流れるかのように。
映像の切り替わりもトシのドラムに、何か知らんが、重なっているし。
この監督のショットが素晴らしいのか、考えすぎなのか。


どこかのサイトで書かれていたが、この映画のタイトルがそもそも反語的だという。
鉄砲玉とは自らの命を投げ出すことにその役割があるのだが、この映画ではそうではない。
鉄砲玉になれなかった主人公の破滅、任侠の世界からは程遠い惨めさが最後を飾る。


どこか『俺たちに明日はない』と似ている気がする。
『俺たちに明日はない』のように「バイオレンス、セックス」の刹那性は、ストーリー(映像)自体にあまり出ないものの、ショットと頭脳警察の音楽で補完しているといったところか。

DVD化を望む。

6/04/2009

泉わき血がおどる

1986年、あぶらだこ。

疲れている時に、激しいリズムの曲を聴くと疲れが倍増するが、あぶらだこに関してはその限りではない。



おそらく歌詞が「よーわからん」からであろう。
この「よーわからん」というのは、歌詞が難解とか変拍子であるからではなく、人智を超えたものを垣間見る(聴く)からなのである。

別に超越的なものを見たからといって、どうってわけではないんだけれど、
没入してしまう悲しい性なのである。私は。

だから研究してんのか、と独り言つ。
早く助成金が欲しい。

6/01/2009

ニセモノフーリガン

1993年、電気グルーヴ。

「苗字が鈴木~」なんて歌詞があるんだけど、
俺じゃん。

フラッと立ち寄ったツタヤで中古の《VITAMIN》(1993年発売:下図)が500円で売られていたので購入。
久々に自宅にて音楽鑑賞。


上記の曲には、自分を見透かされたような歌詞が多い。
「ドサクサにうまく紛れ込み、抑えが利かず血湧き肉踊る。
ちょっとそこで一暴れ、ファイトだけの流れ者」

アラサーなのに、中学時代に聴いていた曲に懐古するとは。
やや退行気味。

人間つらいことがあると、退行して現実逃避を試みるという。
つらいってわけではないが、面倒臭いことが1-2週間続いた。
まずは奨学金。
1つ目は見事、最終で落っこちる。
落ちたその日に期日が一週間に迫った奨学金に申し込む。
推薦状でまずは先生方にお願いしたり、病院で検診して血抜かれたり、10部必要なのでひたすらコピーしたりと、まぁ金と時間がかかること。

それにしても、奨学金の申請書類ってなぜあれほど膨大な量を作成させるんだろ。
「エコ」じゃないよな。
まぁ当たれば無返還だからそのまま「エゴ」になるわけだが。

あたったらとりあえず、ヤクザ仕事(港湾荷役)やめて博論に集中だな。
当たらなかったら、博士中退のヤクザってやつだ。
「インテリヤクザ」にでもなるかな。
さっきの曲の歌詞じゃないけど「ガッツのない無法者」だからまぁ難しいか。

5/20/2009

夏のせいかしら

1974年、作詞:安井かずみ 作曲:馬飼野康ニ、唄:夏木マリ

本日、とある試験を受けてきたんですが、
全く見込み違いの対策をしていたので、うまく対処できず
納得できない答案に。

夏のせいかしら?
と言い訳。



しかし、夏木マリすごいな~。
この頃から、妖艶という表現しか当てはまらないような雰囲気を確立している。
失礼な表現になってしまうが、今は「老いてなお盛ん」という感じでアグレッシヴさを失わず、
瑞々しささえ感じられる。エロイしね(私の中で最高の褒め表現)。

実家にこのLPがあったんで、わが父もこんな女性が好きだったようだ。
血です。

バックの曲もいいっす。
最初の入りなんて、《Caravelle》(Jazzanovaの代表曲)の4分位に入る激しいドラムソロに通じるものが感じられます。



よくよく考えたら、夏木マリのこの曲のコンガと彼女の歌唱の相性のよさが、日本でも名だたるパーカッショニスト斉藤ノブとの結婚に繋がったのではと勝手に推測。

考えすぎか。

5/12/2009

サンフランシスコに行くなら…

頭に花輪を被ってくれよな。
そこで親切な人たちと会うだろうし。
という歌詞。

《San Fransisco(Be sure to wear some flowers in your hair)》 - 1967年、ジョン・フィリップス作詞、唄スコット・マッケンジー↓。



曲調と歌詞からどこか古きよき時代の西海岸を彷彿とさせるが、ヒッピー文化の片鱗でもある。
ここでいう「ヒッピー文化の片鱗」とは、「Love&Peace」じゃなくて、ドラックによるあのテンション。

この曲ががらりと変わった形でremixされたのが2005年。
Global Deejaysというグループの《The sound of SanFransisco》という曲。
PVがエロい↓。



エロいところに目を奪われつつも、
PVのカットに注目。
これはドラッグ中の人間による視線だと誰かが言っていた。

テクノとかダンスミュージックが好きでない人からは、
眉を顰められそうだ。
しかし、歌詞の本意って、
実はこのGlobal DeejaysのPVが体現しているのではないか。

ヒッピーという文化形態が当時の音楽技術や映像で補えなかったとすれば、
やっと最近(といっても、既に4年前)になって体現できたということか。

とりあえず、サンフランシスコにはヤク中のハイテンションで行け。
と勝手に解釈。

The Mamas & the Papas のファンの方々、すみません。

5/06/2009

マイクロメガス

1978年、ダニエル・リベスキント作(下)。




ポスト・モダンの旗手と呼ばれた頃の作品。
この頃の彼の作品はダイナミクスを感じさせるけれども、
「静謐な破天荒さ」とでもいうような、計算高い「やけっぱち」を感じる。


デ・スティルの頭目ドースブルフの《コンポジション》シリーズ(下)で見られる、
幾何学形態の浮遊感みたいだ(彼の『新造形主義に向かって』はここ)。



純化した形態はゼロとなり、やがてマッスとなり、建物となり、都市へと拡張していき、
マレーヴィチは共産主義の次に来る神の啓示たる高次元を目指す。


その啓示が有効性を失い、天から地上へ一気に降り注いだ。

地上の人間が認知できる形態となって。
と勝手にポストモダンの流れを物語化。


世界でも有名な、スイスのある建築大学の研究グループが、
リシツキイとリベスキントの比較研究をしていたので、
こんなことをGW中に考えていた。

いつかリシツキイの研究に戻ろう。

4/30/2009

SWEET HOME

1989年、監督:黒沢清。

タイトルとは裏腹にホラーです。
ガキの頃見て、かなり衝撃的でした。


この作品のDVD化は絶望的だそうです。
(制作側の伊丹プロダクションと黒沢監督の間で裁判になっている。
詳細はここ。)


Youtubeなどで断片的に鑑賞し直すと、
なかなか味わい深い作品であることに気付く。



まず、禍々しい映像の中にも所々に静謐な場面
(地が滴るところとかボールが普通の速度で転がるところ)
が挟み込まれていること。


あと、速度が遅いし音楽も余計にはいらないところがいい。
でも、ホラーってこんなものなのか?
あまり見たことがないから何とも評価できませんが。

いやはや、さすが稀代のメディアプロデューサー黒沢。
20年前にこんな作品を創っていたのですな。乾杯!

これと似た感覚を覚えるのが、日本のロックバンド「人間椅子」。

どうかねこの情緒性?

4/26/2009

原始、女は太陽だった

1995年、中森明菜(作詞: 及川眠子、作曲: MASAKI)。

平塚らいてうではございません。

しかしながら、彼女の篤さ(上記リンクでは「熱い」)は好きです。


先日、知人女性のツテで「女子会」なるものに潜入。
生まれて初めて、女装しました。
だって女性しか入っちゃダメっていうんだもん。

ワンピースに口紅、真珠のネックレスを借りました。


女性なら、キマるのでしょうが私の場合
髭の濃さは隠せず無様極まりない姿に。



でも、女装はいわば後天的に抑圧された「性」に
対するアンチテーゼ。

上記のらいてうが述べる「男女同権」は、この抑圧されたとする
「性差」をデ・ファクトスタンダードとしてまず受け入れる。
そこから何か始めようという姿勢。

私は、後者の考えのほうがなにか大らかさを感じ、
全く違う文脈なんだけど「原始、女は太陽だった」の中に母性的なものを
認めてしまうんだけど、どうだろう。

たいして、まじめではないけれど、ふと思った。

4/12/2009

嗚呼素晴らしき哉、わが人生。


今、CAMPで展示している川崎昌平君の作品(上)。
こういう感性を常に保ちたいものだ。

4/06/2009

俺たちに明日はない

1967年、アーサー・ペン監督作。


桜が満開。新入生、新入社員が初々しいこの時期にこのタイトル…

落ち込んでいるわけではないが、
この言葉をかみ締めることによって、

一日を大切に生きようと思い始める今日この頃です。


というのも、学部時代の友人の結婚席(下)に呼ばれよい刺激を受けたのと
友人が続々と自らの分野で活躍し始めてきたからだ。





先週の話になるが、101 Tokyo contemporary art fairアートフェア東京へ足を運ぶ。
友人の活躍が眩い(下)。




最近、姑息になりがちだったので、背水の陣を敷き

来年度までに博士論文を出すと公言。

それに向かって自分も頑張ろうと奮起した一日でした。


3/23/2009

君のひとみは10,000ボルト

1978年、堀内孝雄(作詞:谷村新司)。


すごいタイトルだな~。
ベタっす。でも改めてこのお二方の歌唱力とリズム感に脱帽。

とりあえず、DJする時にヘビーローテにする曲を下に貼っておきます。
コンガ(よく聴いてね)とご両人のコブシがこれほどマッチングするとは!
彼らの息の長さとコンガの刻み具合が、2:1くらい。
舞台美術も素晴らしい。
ご堪能あれ。




この映像をじーっと見ながら曲を聴くと、
A.ロトチェンコのマヤコフスキイの肖像写真(1924年)を思い出す(下)。



刃のような眼光を投げつけるが、
友人のロトチェンコは彼の誇大的な性格と振る舞いを熟知していた。

そのことが反映されているかどうかわからないが、
マヤコフスキイを座らせたフォーカスポイントは壁の模様なっている十字の交点。
心臓の位置に標的を定めるかのごとく。

危険に晒されながらも、
十月革命の寵児として振る舞う宿命を背負わされたヴァロージャ(マヤコフスキイの愛称)
への祈りか。

「立たないで、もうそれで充分だ。おぉ、神よ。彼を、救いたまえ!」

3/22/2009

骰子一擲

サイは投げられた。

まぁ、「一回休み」とかにはまらなければよいが。
とりあえず、先週無事(?)学会発表も終わり当分プレッシャーのない生活。


久しぶりに自分の資金ぶりを案じ、資金調達を考え、
奨学金申請書類に取り掛かる。
だが「目的/意義」のところで躓く。


現段階では、
「1930年代の都市計画+国家規模建築プランに見る古典建築様式の勃興=アンサンブル・イデオロギー」
(長いな)というテーマで進めていき、博論へ突っ走ろうとしている。
そのため、経緯と今後の課題、手立てはスラスラ出てくる。


しかし、「目的/意義」だ。
正直言うと、ない。というか、うまく結び付けられない。
突き詰めていくと、単純に「知らないから知りたいだけ」であって、
これを正直には出さず上手くオブラートでつつみこんでいかなきゃいかんのだが、
アイデアが出ない。



その代わりに身から出るのは金。
この間の金曜は友人が一日店長を務めるバーにて飲む(下)。







幸い横浜でやっていたので、深夜三時くらいまでのみストレス発散。
次の日何も手をつけられず…


来週は友人の結婚式二次会に呼ばれている。


二次会だけというのは初めてのため、ネットでどんな服装が適しているか調べる。
そうか、今の人たちは二次会も気合入れた格好でくるのかと感心。
結局、適した服がないためそれなりのものを購入。
まぁ久しぶりに友人らと会うからこれくらい出費してもいいか。


と、それなりに良い方向にコマは進んでいるようだ。

3/06/2009

文字情報、是まさに文字なり。

目がシパシパする。

1つは本との距離が近いこと。
もう1つは外国語書籍が古く、インクが臭くて、目が明らかに拒否反応していること。
ファブリーズを試すが、頑固な匂いは落ちない。


来週の学会発表に向けて、話すネタのため毎晩研究対象の年代の本を読んでいる。
建築様式について発表するんだけど、対象とする時代において「建築様式は政治言説によって何でも成り得た」。
だから建築要素云々じゃなくて、「生活の快活さ、社会主義建設の熱き鼓動」の表現形態たり得なくてはならない。そうすると、装飾というものが非常に重要味を帯びてくる。

それも古典建築様式で用いられる原理からはみ出て、彫刻や絵画として認識されたかたちで。


だから建築が上位にあってそれにあわせた装飾というよりも彫刻、絵画、建築が渾然一体となるコングロマティック。こんなんができちゃいました(下:V.イオファン、K.アラビャン、1939、ニューヨーク国際博覧会、ソ連パヴィリオン)。




五十嵐太郎氏が「建築と音楽は直接的に感情を表現し得ない」ということを、どこかの言説から引用し説明を加えていたが(『建築と音楽』)、上の作品を見るとそうした論理枠から超えたものを垣間見るというか…
まだ勉強不足だな。
発表原稿と何しゃべるかきちんと考えるとするか

3/01/2009

新たなる出立

昨日、所属する大学の教授の最終講義を聴きに、学校へ久々に行く。

きれいな建物で冷暖房完備なんだけど、非常に寒い。
原因はガラスの壁と屋根。


開放感があっていいとは思うが、大学が閑静な住宅街にあり山が一望できる場所にあるのでやはり環境とあっていない。


ピーター・アイゼンマンの《布谷東京ビル》(下)みたいに周囲から浮いてる感じだ。欝の学生が増えます。


まぁ、そんな雑談はいいとして、W先生の最終講義は超満員(下)。




彼の人柄がそうさせたのでしょう。非常に幅広い年齢層の人が訪れていました。


知的好奇心を常に持ちながらも、良き師として学生の指導にあたっていたということが、講義の節々にでる学生への問いかけであったり、思い出話に滲み出ておりました。


その中で、彼の専門の「ユーラシア主義」という思想哲学から紡ぎだされた「全体と個」という概念。もちろん、ライプニッツの『モナド論』への懐疑から出発しているから哲学やそれと絡んだ文学に通用するのだろうけれど、18c-19cの建築(モスクワ・バロック、庭園様式)の建築物と建築アンサンブル空間にも絡むのかと悩む。


ここでいう「個」(個々の建築物)は人の時間単位でカウントするのではなく、様式生成というちょっと長い時間単位で計測する。そうすると、以前あった建物の影響から新しい建築物はそれと波長を合わせたかたちで形成され、全体が整ったようなアンサンブルを生み出すというのが18c-19cの建築におけるアンサンブル。


でも、その建築様式と近い1930年代のソ連建築には更に別の「全体と個」が纏われる。「権力と建築家」、「都市計画と建築物」。なんか、K学長が提唱するこの時代の「熱狂空間」創出へと論が向かいそう。とは言え、この点を勉強しようと思い立ち、あるプランを思いつく。

2/14/2009

古寺巡礼

1919年、和辻哲郎著。



当時のモダニスト和辻が、
おおよそ対極に位置するであろう古都奈良を巡り、
その印象を綴った著作。


環境というものが人間の思想形成にいかに作用しているか。
下手をすると、新ラマルク説やルィセンコ学説に走りそうだ。


さて、なんで古寺なのかというと、
外国の友人があちらの景観を写真で送ってくれたので、
そのお返しに先日近所にある弘明寺(瑞応山蓮華院)で写真撮影してきました(下)。




自分の分野で引っ張れば、建築を住まいの装置として見た場合、
環境の一部でありそれが形態を決定付けているという側面をもう一度思い起こさせてくれる。


これに該当するのが、コルビュジェ唯一ソ連での作品、《ツエントロ・ソユーズ(旧ソ連消費者協同組合中央同盟)ビル》(下二つ)。

モスクワは寒いから、コルビュジェの思い描くガラス一面ファサードにはならず、防寒効果のある赤茶の凝灰岩が用いられ、今に至る。

コルビュジェは「こんなの俺の作品じゃねぇ!」として、自らの作品リストには加えられていません。

こうした点を鑑みるに、建物とは環境と景観、ファサードとイデアという様々な要素が混合するわけだけれど、どうも「好きな建造物」とはファサードとイデアばかりが主張しすぎる。
環境と景観という点からもう少し建築物をとらえ直さないと、上記した和辻が古寺で体験した独特の場というものが見えてこないかも。
戒められました。寺に行って。

2/13/2009

the life we choose

2007年発売、HardfloorのLP。
レーベルもHardfloor。
中学時代、部活帰りのLP屋でよく聴いた思い出がある。
なんでポップスとかジュベナイルな楽曲、否クラシックとかジャズに触れとかなかったんだろうと後悔。


話を戻して、アルバムの中でも、トップを飾るのは「The Trill Acid Theme 」。
相変わらず、4つ打ちでRolandのTBシンセの音が冴え渡って曲もいいんだけど、
PV(下)がすげぇ。



かの国の有名な「リズム体操」がfutureされてる!!

すげぇ気持ち悪い動きなんだけど、上記した曲調と妙にマッチしてて心地良いのです。

気持ち悪さが先行しがちなんだけど、よく見ると背後に見覚えのある建物に似てる(下)。




1936年建造、ノイ・トロツキイ作レニングラード最高会議議会場。

オーダーがファサードを凌駕し、ネオクラシックの装いをした高層建築の代表作。

これってチャウシェスク宮殿にも共通する要素なんだよな。

論文には囲いこめないけど、話のネタになりそうだ。

2/11/2009

折れた支柱

痛々しい。
フリーダ・カーロ1944年の自画像タイトル。
若い頃に負った重症が元で、様態が悪化した頃に彼女が描いた自画像だ。


それにしても脊椎が痛い。
一日中学会発表用の資料と原稿をまとめていました。
家から一歩も出ずに、座ったままで。
だからなのです。



それにしても、何を話すかノートに書き連ねていったら20ページに渡っていた。
「1930年代のソヴィエト建築について」なんだけど、まとめるのが非常に難しい。

この時代を規定するであろう、有名な建築物(建築プラン、建築家が関わるインフラ)が6つあって、その5つがコンペ。
しかも政治闘争と建築家の覇権争いに関わっているのが6つのうち4つ。
純粋な建築ではなく、他芸術形態(彫刻、絵画、映画)と関わっているのが6つのうち5つ。


うーん。どういう切り口でいこうか。
博士論文の漠然としたテーマの構成固めとしたいから、政治闘争を前面に持ってくるのはダメだな。
1930年代建築は他の芸術みたくスターリン直結じゃなくて、カガノーヴィチというフィルターがかかるし。
だから、「独裁政治と建築のつながり」なんだけど、独裁政治=独裁者の権力とはいかないな。
でも、最終的な判断がその指導者となるからやっぱスターリンになるのか。
ややこしい。

2/10/2009

活動分子

ロシア語でアクチヴィストは日本語だとこういう意味になります。


本日、CAMPの打ち合わせで東大駒場でH君と打ち合わせ。
今回は100日間企画し、運営。
前代未聞の熱狂空間となること間違いなし。
来てね。


さて話を戻すと、H君より「アクティヴィストですね」と有難い言葉を頂戴した。
というか、忙しくしてないと落ち着かないんです。多動症ってやつかと。
蟻です。


アクティヴィスト。この一段階上はロシア語でウダールニク(突撃隊)。
最上級はスタハノーヴェッツ(造語(俺の?):ドネツク炭鉱で1935年超過ノルマを達成した労働者スタハーノフ(下)の人称型)。


ワーカーホリックっす。でも充実感。
父より引き継いだリーマンの血に感謝。

2/06/2009

酒とバラの日々

監督B.エドワ-ズ、1962年、アメリカ。




理想の生活ですな。アル中。

先日、学部時代たむろっていた「くうかんぼう」という呑み屋(上)に久しぶりに立ち寄った。
相変わらず、学部時代から変わらぬマスターがおり、挨拶。

景気は良くないみたい。とは言え、9,000円近く呑んだ。

まぁ四谷に立ち寄ったら、よってあげて下さい。雰囲気はまぁいいほうですので。


次回はまけてもらうかツケてもらおう。

2/03/2009

敬愛なる同志へ!

感謝の意を込めて。


外国の友人とあれこれ試行錯誤して立ち上げた、グループがやっとサイトになった。
横浜在住なんだけどね。
俺一人だけクリエイターではないのが寂しい。
「中国で仕事見つけて、ユウヤも呼んでやるから、待ってろよ!!」と。
有難い。
それまでに、何かしら誇れるものを身に付けておこうと一決心。
再び論文に取り掛かる。

2/01/2009

余計なお世話だ!


IKEAの広告。
寝る子は育つってか?いくら寝ても疲れが取れない場合は、どうすればよいのでしょう。

久しぶりにカチンと来た広告。

1/25/2009

アート作品めぐり02

つづけて、書く。
溜まっていたノルマを果たすためにも。

本日は、渋谷で新学会に関する打ち合わせ予定だった。
なんで、「何もしない日」と決め武蔵野美術大学卒業・修了展を見に行く。
CAMPのメンバーも行ってることだし、ちょっと下の世代がどういうものを制作しているのかを知るいい機会だと。


加えて友人のM君が、この大学の助手を務める彫刻家冨井大祐さんの研究室内(アトリエっていうのか)で展示(The World 世界)を行っているとのこと。貸していたヘッドフォンを返してもらうためという理由をつけて、足を運ぶ。


昼から会合だったので、ものの一時間くらいしか見れなかったのは残念。


ざっと見て「ムッ」と思う作品は正直なかった。時間がなくてきちんと見ようとしなかったのがいけなかったのだろう。


つーか、すんごい展示量だね。学園祭みたいなのかね。美大の卒展って。外部からいろんな人が来るし、普段話さないような人と自分の制作や研究について語るわけだし。


なにせ遠い場所なんだが、実に心地よい場所にある。同じ「田舎」(失礼!)にある、私の所属大学院なぞでは味わえない開放感。


建物が古きよき「モダン」なものと最近のシャープな建築がうまく融合している気がした。ちなみに所属大学院は後者一辺倒な雰囲気で私は好かない。


どうでもいい土地感から入ったが、肝心のM君の作品(下)。

かなりわかりづらいけど。台の上に鎮座するモニターに映ったビデオ作品。これ以外に壁へ二つの映像が投影されている。色んな人に様々な国の料理を作ってもらうんだけど、そのレシピが全てその国の料理の言葉で書かれている(フランス料理ならフランス語、アラブ料理ならアラビア語というように)。だから、作ってもらう人はそのレシピからどんな料理かあれこれ考えをめぐらせ調理していく。


もちろんそのレシピの言葉を解さない人たちが作るから、淡々と調理が進んでいくわけでなく、料理やそこから派生する話で盛り上がったり、それを何かしらのとっかかりにしようとする様子が映し出されている。





そのレシピが展示室の片隅にちょこんと置いてあり、虫眼鏡が据えられていた(下)。








ドキュメンテーション的な要素が今回加えられたのかな?前回ではレシピと映像だけだったが、虫眼鏡。字が細かいからという理由だろうけど、ものすごくひっかかる。

その国の言葉を解さなければ、読もうという意思なぞ起こらないわけだし、事実確認の証拠としてレシピが出されるその状況で充分。でも虫眼鏡が差し出されたことによって、「もしかしたら読める(文字の判読)んじゃないの」という可能態が鑑者に与えられた気がした。それはボディーランゲージじゃないけど、言葉を解さない同士が、意思を伝えようとするあの根源的衝動にも似て、好感が持てた。そこに、M君が作品制作に通底させようとするものを見た気がした。これまた勝手な解釈。

彼自身による説明を待たなければなるまい。
彼はポルトガルでの個展もひかえているとのことなので、頑張って欲しい。

で同建物内で、これまたCAMPで展示したH君も展示を行っていた。
どうやらOさん絡みの件で、韓国のpoint展に今年出るらしい(詳細不明)。
おめでとうと声をかけ、作品に関する説明拝聴。

作品は「水」シリーズと何故だかNASAの航空写真展示とアポロ打ち上げの生放送の録音。
結構、作りこんだ造形なんだけど、その作品が作品として定位するには風とか滴る水といった外部がその造形に入り込まないと成立しない。というのが彼の作品の特徴(ですよね、H君!)
今回は「宇宙」?というか、外在的要因をいかに取り入れるかというのをかなり大きな規模で試してみたのか?

まぁ、これもそのうち呑みの席で。

「デカイことはいいことだ」。イイね。これに乗じて、自分も波にのって行きたい。

アート作品めぐり01

金曜日、仕事中に友人のI君より突然電話。

「本日アートセンターongoingでパフォーマンスやるから来て」
って、その日はある論文を読破しようと決め込んでたので、少々悩む。

16時ごろ。


運よく仕事が定時で終わり、まぁ作品見る機会もあんまりないからいいかということで、

帰路を逆走。吉祥寺へ。



結構いるのかなと思い、軒をくぐると、よくお会いする面子が。
思っていたよりこじんまりした空間。


「これはこれでよい」とあたりを見回していると、I君のプレゼンスタート。


親密という彼に対する私の思い込みから、書かせてもらえば、「もうちょっと制作と作品と行為の関係をまとめろよ。博士論文の「circurate」という言葉を自分なりに噛み砕いて」(飽くまで主観です)。
この批判は、結局、自らの戒めでもあるんだけれど(研究対象と現行の論文、博士論文の繋がり)。

でパフォーマンス開始(下)。


特殊な清掃服に着替え、展示会場の一角にある台の上据付の水槽に立つ。様々なファーストフード(マック、ケンタ、吉牛、ミスド)をバケツから取り出し、食す。


その食べかけを洗剤の入った水槽に入れ、スポンジで洗う。パンの皮やらボロボロになった具を取り出し再び食す。ジュースも飲んで、水槽に入れて水槽の水と混じったものを取り出し飲む(下)。



用意してあったファーストフード全てを「洗い」終わると、水槽にたまった残存物を集め、買った時に入っていた容器に戻しバケツの上に陳列し直して終わり。

こう書くと、ソ連のコンセプチュアル・アーティスト兼作家・脚本家ヴラジーミル・ソローキンの「可能性」みたい。

水槽の下にはカメラが設置してあり、パフォーマンスをしている舞台正面のモニターにその様子が映る(上)。


友人のOさんが見に行ったという芸大博士審査展では、彼自身が頭を突っ込み自らを「洗った」そうだ。


今回は食べ物。circurateという彼の軸とするキーワードから、勝手に解釈すれば、生の営みを主体から徐々にずらす試みなのか(身体→生命活動を支える食物)。次だね。このcircurateがどう駆動していくか、もしくは彼の主軸がしっかりしているのかどうかを見極めるのは。


とは言え、あえてブれているように見せるとおもう。そこをいかに言語というものではぐらかし、必ずしも「日常への循環」ではなく、行為と言葉による回収不可能性によって、circurateが打ち出せるか。


余計なお世話だが、頑張れとエール。
やはり自分への意味も込めて…

1/18/2009

街並み拝見01

本日も論文執筆のため、横浜市中央図書館へ。


この図書館、大学受験から通算10年近くお世話になっている(ブランクあり。修士時代と留学中の3年間)。


なんで目新しいものは何もないんだけど、bankartで開催されている東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻 修了制作展「せんたんまる」を見る前に野毛のまちをふらり。


            
 



久々に服をみようと、宇野薫商店に足を運ぶ。
商品はいいんだけど、次の給料まで我慢かなーと思い足を外に向けると「これは!」と思うビル発見。
パチリ(上)。

西欧空間造形史の本で「ミースのAT&Tビルは古典建築のオーダー処理をかぶせている」というような記述が頭に入っていたのかもしれない。ビルの正面と側面のを繋げるのではなく、互いの端、つまり角の部分を同一の比率で分割することでプロポーションを解決している。と思ったら、そうではなかった。でも、オーダー処理方法ではなくAT&Tビルとかのように一階部分を道路からの貫入空間にして高層化しているのがよい。

   


まだまだ。
実はこのビルの対面にお寺があるんだけど、何か妙にこの地区に嵌まり込んでいるんです(上)。「モダン化」された寺?思い出したのが丹下健三の《大東亜建設記念営造計画》(詳しくはココ)。
コルビュジェの《ソヴィエト・パレス》をベースに神社をモダン化させたといわれているけれど、それってこんな感じになるんですかね。いや違うな。すみません丹下先生。

仏閣の建築要素がそがれているわけではないけど、何というか無駄な装飾がない感じ。
みなとみらい地区に弧を描いて聳えるビルと妙にマッチしていて。


         


で上記のビルのわき道にも、これまた素晴らしい建物が!
上左は今研究しているBDNCHのアルメニア・パヴィリオン!
ではないけど、極度に引き伸ばされた両脇のオーダーと装飾列柱を髣髴とさせる一階部正面の縞状の壁が、執筆中の論文で問題にする「民族建築様式+古典建築様式≒ソ連建築様式」という論証を呼び覚ます。これは違いますけど。

右はおそらく昔からあるであろうビルの一階部のみ改築し、小料理屋となっている。木材をファッサードにあしらい、横長の穴を穿たせている。そのことで、内からの照明による陰影のコントラストを装飾としてより引き立たせているのが小粋だねぇ。

  


じゃあ、目的地へと思ったらこれまた。
本町小学校。宇野薫商店の向かい側にあります。体育館と思われる(バスケの音がしたから)円形の建造物と教室などがある四角い棟の組み合わせがよい。


仏閣以外の前記建造物が縦長だったのに、これは横長。この小学校がある通りは小学校より高い建造物がないんだけど、向かい側は逆に縦長建造物が多い。


一応町並みが保たれてるのかな?

1/17/2009

ビデオアート

この作品形態をどのように規定するのか。


ビデオじゃないと表現できない、何かしらのコンセプトがあるからか。

それともビデオ(映像)というソフトの構造そのものと戯れるためか。

はたまたそれが流通する社会で、創作行為を有効なもの(多くの鑑賞者を得やすいということ)だからか。


創り手ではないので、堂々巡り。


まぁそんなことはいいとして、在モスクワのデザイナーが「東京のエッセンスとモスクワのエッセンスをブレンドした」という作品を創ったとのこと。

どちらとも、帰国の時にその友人にあげたYMOの楽曲を利用してます。

「これが日本の誇る最高の音楽だから」なんて吹き込んで(笑)。とは言え、もう30年ちかく前のサウンドなのに、寮の外国人留学生(俺と同じくらい)の大体がYMOを知っていたのは驚いた。

YMOは中期("BGM","TECHNO DELIC")が最高っす。

うまく絡んでいると自画自賛。今度はあちらから曲を送ってもらって、こちらで画像処理してくれとのこと。

ますます、論文から離れてます。やべぇ

1/12/2009

彼がパンに指を突っ込んで、引っ張ると…

「鼻があった!イヴァン・ヤーコヴレヴィチは手を下ろして、目をこすり触って確認してみた。鼻だ、そう鼻ではないか!」
八等官コヴァリョフさんのなんですけどね。


確かこんな文章で始まった、奇怪極まりないニコライ・ゴーゴリ作『』。
文学をまじめに勉強しなかった私が、ゴーゴリで覚えているのはこのくらい。
芥川の場合、逆ですよね。なくなるんじゃなくて、長くてそれが嫌で短くするっていうやつ。
二つとも主人公のコンプレックス(ゴーゴリのは官位、芥川のは容貌)と結びついていて、読了後、作家の目の付け所と共通性に妙に感心した。


春に立ち上げる学会で行うシンポジウム企画の話し合いをするため、渋谷のtokyo salonard cafeへ。


モスクワ留学中に同じ寮でよくつるんでいた、Dさんにそのシンポジウムの発表者としてお願いした。その中で、ゴーゴリ生誕200周年の話になり、ふと上記のくだりを思い出した。


で、その会合でシンポジウム企画から脱線して、ゴーゴリ生誕200周年記念特別シンポ企画が持ち上がる。 話は大いに盛り上がり、上記学会の二回目ないし特別枠で企画すると述べ、企画をDさんに依頼。 かなり勝手に進めてます。


個人的な希望としては、学部時代に東京工業大学でやっていた「夏目漱石論」。夏目漱石のある作品を哲学者、文学者、社会学者が討論するセッションがあった(うろ覚え)と思うけど、そんな感じでやれればなぁ…

参考にしたいので、上記東工大の授業に関する詳細情報求む。

1/10/2009

四谷ぶらり旅

一昨日、仕事の関係で四谷三丁目付近をぶらり。


行き先の場所がわからず、狭い路地を行き来していると、
一つのことに気付く。「町並みがいいな」と。


昼間で静かだったこともあって、落ち着いているというか、ほっとする。
圧迫感がないんです。

何故か。勝手な解釈だと、塀のない一戸建てやアパートがあって、道路と延長上になる形で玄関部や駐車スペースが構成されている。だから、塀で道路が囲われているという印象がなく、狭いんだけど圧迫感を生じさせない。

あと、ここらへん結構アパートが多いのだけれど、そのほとんどが相似している。
四谷アパートメント》っていうデザイナーズマンションと昔ながらのアパートっぽい物件(下図)が上手く絡み、わき道に入ると神社なんかあったりして。結構イイ感じだ。金があったら住みたいな。


  

学部時代には新宿通りの向こう側の飲み屋街に繰り出していたが、その記憶とこの地域が何かリンクしてしまい、妙に懐かしい思い出が蘇った。

1/05/2009

『消された月の物語』

1926年、ボリス・ピリニャーク作。


トロツキー失脚後の軍事評議会議長M.フルンゼ変死疑惑を扱ったセンセーショナルな作品(原文)。


下の写真は同名映画(1990年、E.ツィンバル監督)フルンゼ役を扮する名優V.スチェクロフ。






なんでこんな作品を思い出したかというと、留学中によくつるんでいたイタリア人の友人から年賀を頂戴したからだ。年齢も近く、日本で言うところの博士後期在籍。ピリニャーク研究。

修士のときのK学長のゼミで翻訳課題が出され、ついこの話を思い出してしまった。



近々、博士取得口頭試問があるそう。

彼女はスロベニアの国境沿い出身で今はスロベニアにいるとのこと。

スロベニア語の注意が書かれた「camel」を寮の階段で吸いながら、社会主義リアリズムの芸術政策について長々とまぁよくしゃべったもんだ。



そのときの断片。

「ピリニャークってあんたの国のスパイってことで殺されたんだよね」。

「そうなんだ、彼日本のことについて書いてるんだ『Корни японского Солнца』ってやつで。しかも『消された月の物語』の出た年に日本に来てたんだぜ。知りすぎたものは消せ。当時の鉄則じゃないか。芸術分野では。」。

よく考えると、すごい話してたな。

あー懐かしい。というか、こっちは口頭試問いつになんだろう。

1/04/2009

正月、終わり

ついに明日から仕事。というか、学生(未だ)なのにおかしい話だ。

やっぱ奨学金取らないとまずい。
書類が面倒で出さないで通していたが、研究に集中できませんな。
金と時間、どちらを取るか。研究以上に大きなテーマだ。

そんなことを正月から考察しつつ、世間の皆様と同じく正月セールに足を運んだ。
結局購入したものはCDとトレーナーのみ。しめて約8,000円なり。
トレーナーはいいとして、久しぶりにCDを購入した。

留学中は露店で売っているMP3(大体300円から1000円くらい)ばっか買っていたので、正規のものを買うのは一年半ぶり。


でそのCDとは「CARL CRAIG & MORITZ VON OSWALD / RECOMPOSED REMIXES」。

テクノというジャンルを聞き込んでいる人ならば、ご存知でしょう。

デトロイト・テクノの雄Carl Craigヘルベルト・フォン・カラヤン率いる1980年代のベルリン・フィルハーモニーの楽曲の断片をこれまたミニマルテクノの大家MORITZ VON OSWALD (MAURIZIO名義が有名)と再構成。カラヤン&ベルリン・フィルもすごいが、テクノ好きにはCarl&Moritzの組み合わせも豊潤。


レーベルもDeutsche Grammophonだから、どうみてもクラシックじゃん。CD屋のクラッシックコーナーに置かれたら、クラシックファンのおっちゃんとかがジャケ買いしたらどーすんの!
だからジャケットもこんな感じ↓



原曲の面影はほとんどなく、何だかアンビエント。とは言え、ところどころ原曲の気配というか楽器の音色が聞こえたり聞こえなかったり。強いて言えば、昔NHKの自然科学特集シリーズ番組の中で、宇宙を特集した回に流れていた細野晴臣の楽曲に近い(かな)。
買う価値ありですぞ。
正月早々、いいものに巡りあえた。