1/25/2009

アート作品めぐり02

つづけて、書く。
溜まっていたノルマを果たすためにも。

本日は、渋谷で新学会に関する打ち合わせ予定だった。
なんで、「何もしない日」と決め武蔵野美術大学卒業・修了展を見に行く。
CAMPのメンバーも行ってることだし、ちょっと下の世代がどういうものを制作しているのかを知るいい機会だと。


加えて友人のM君が、この大学の助手を務める彫刻家冨井大祐さんの研究室内(アトリエっていうのか)で展示(The World 世界)を行っているとのこと。貸していたヘッドフォンを返してもらうためという理由をつけて、足を運ぶ。


昼から会合だったので、ものの一時間くらいしか見れなかったのは残念。


ざっと見て「ムッ」と思う作品は正直なかった。時間がなくてきちんと見ようとしなかったのがいけなかったのだろう。


つーか、すんごい展示量だね。学園祭みたいなのかね。美大の卒展って。外部からいろんな人が来るし、普段話さないような人と自分の制作や研究について語るわけだし。


なにせ遠い場所なんだが、実に心地よい場所にある。同じ「田舎」(失礼!)にある、私の所属大学院なぞでは味わえない開放感。


建物が古きよき「モダン」なものと最近のシャープな建築がうまく融合している気がした。ちなみに所属大学院は後者一辺倒な雰囲気で私は好かない。


どうでもいい土地感から入ったが、肝心のM君の作品(下)。

かなりわかりづらいけど。台の上に鎮座するモニターに映ったビデオ作品。これ以外に壁へ二つの映像が投影されている。色んな人に様々な国の料理を作ってもらうんだけど、そのレシピが全てその国の料理の言葉で書かれている(フランス料理ならフランス語、アラブ料理ならアラビア語というように)。だから、作ってもらう人はそのレシピからどんな料理かあれこれ考えをめぐらせ調理していく。


もちろんそのレシピの言葉を解さない人たちが作るから、淡々と調理が進んでいくわけでなく、料理やそこから派生する話で盛り上がったり、それを何かしらのとっかかりにしようとする様子が映し出されている。





そのレシピが展示室の片隅にちょこんと置いてあり、虫眼鏡が据えられていた(下)。








ドキュメンテーション的な要素が今回加えられたのかな?前回ではレシピと映像だけだったが、虫眼鏡。字が細かいからという理由だろうけど、ものすごくひっかかる。

その国の言葉を解さなければ、読もうという意思なぞ起こらないわけだし、事実確認の証拠としてレシピが出されるその状況で充分。でも虫眼鏡が差し出されたことによって、「もしかしたら読める(文字の判読)んじゃないの」という可能態が鑑者に与えられた気がした。それはボディーランゲージじゃないけど、言葉を解さない同士が、意思を伝えようとするあの根源的衝動にも似て、好感が持てた。そこに、M君が作品制作に通底させようとするものを見た気がした。これまた勝手な解釈。

彼自身による説明を待たなければなるまい。
彼はポルトガルでの個展もひかえているとのことなので、頑張って欲しい。

で同建物内で、これまたCAMPで展示したH君も展示を行っていた。
どうやらOさん絡みの件で、韓国のpoint展に今年出るらしい(詳細不明)。
おめでとうと声をかけ、作品に関する説明拝聴。

作品は「水」シリーズと何故だかNASAの航空写真展示とアポロ打ち上げの生放送の録音。
結構、作りこんだ造形なんだけど、その作品が作品として定位するには風とか滴る水といった外部がその造形に入り込まないと成立しない。というのが彼の作品の特徴(ですよね、H君!)
今回は「宇宙」?というか、外在的要因をいかに取り入れるかというのをかなり大きな規模で試してみたのか?

まぁ、これもそのうち呑みの席で。

「デカイことはいいことだ」。イイね。これに乗じて、自分も波にのって行きたい。

アート作品めぐり01

金曜日、仕事中に友人のI君より突然電話。

「本日アートセンターongoingでパフォーマンスやるから来て」
って、その日はある論文を読破しようと決め込んでたので、少々悩む。

16時ごろ。


運よく仕事が定時で終わり、まぁ作品見る機会もあんまりないからいいかということで、

帰路を逆走。吉祥寺へ。



結構いるのかなと思い、軒をくぐると、よくお会いする面子が。
思っていたよりこじんまりした空間。


「これはこれでよい」とあたりを見回していると、I君のプレゼンスタート。


親密という彼に対する私の思い込みから、書かせてもらえば、「もうちょっと制作と作品と行為の関係をまとめろよ。博士論文の「circurate」という言葉を自分なりに噛み砕いて」(飽くまで主観です)。
この批判は、結局、自らの戒めでもあるんだけれど(研究対象と現行の論文、博士論文の繋がり)。

でパフォーマンス開始(下)。


特殊な清掃服に着替え、展示会場の一角にある台の上据付の水槽に立つ。様々なファーストフード(マック、ケンタ、吉牛、ミスド)をバケツから取り出し、食す。


その食べかけを洗剤の入った水槽に入れ、スポンジで洗う。パンの皮やらボロボロになった具を取り出し再び食す。ジュースも飲んで、水槽に入れて水槽の水と混じったものを取り出し飲む(下)。



用意してあったファーストフード全てを「洗い」終わると、水槽にたまった残存物を集め、買った時に入っていた容器に戻しバケツの上に陳列し直して終わり。

こう書くと、ソ連のコンセプチュアル・アーティスト兼作家・脚本家ヴラジーミル・ソローキンの「可能性」みたい。

水槽の下にはカメラが設置してあり、パフォーマンスをしている舞台正面のモニターにその様子が映る(上)。


友人のOさんが見に行ったという芸大博士審査展では、彼自身が頭を突っ込み自らを「洗った」そうだ。


今回は食べ物。circurateという彼の軸とするキーワードから、勝手に解釈すれば、生の営みを主体から徐々にずらす試みなのか(身体→生命活動を支える食物)。次だね。このcircurateがどう駆動していくか、もしくは彼の主軸がしっかりしているのかどうかを見極めるのは。


とは言え、あえてブれているように見せるとおもう。そこをいかに言語というものではぐらかし、必ずしも「日常への循環」ではなく、行為と言葉による回収不可能性によって、circurateが打ち出せるか。


余計なお世話だが、頑張れとエール。
やはり自分への意味も込めて…

1/18/2009

街並み拝見01

本日も論文執筆のため、横浜市中央図書館へ。


この図書館、大学受験から通算10年近くお世話になっている(ブランクあり。修士時代と留学中の3年間)。


なんで目新しいものは何もないんだけど、bankartで開催されている東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻 修了制作展「せんたんまる」を見る前に野毛のまちをふらり。


            
 



久々に服をみようと、宇野薫商店に足を運ぶ。
商品はいいんだけど、次の給料まで我慢かなーと思い足を外に向けると「これは!」と思うビル発見。
パチリ(上)。

西欧空間造形史の本で「ミースのAT&Tビルは古典建築のオーダー処理をかぶせている」というような記述が頭に入っていたのかもしれない。ビルの正面と側面のを繋げるのではなく、互いの端、つまり角の部分を同一の比率で分割することでプロポーションを解決している。と思ったら、そうではなかった。でも、オーダー処理方法ではなくAT&Tビルとかのように一階部分を道路からの貫入空間にして高層化しているのがよい。

   


まだまだ。
実はこのビルの対面にお寺があるんだけど、何か妙にこの地区に嵌まり込んでいるんです(上)。「モダン化」された寺?思い出したのが丹下健三の《大東亜建設記念営造計画》(詳しくはココ)。
コルビュジェの《ソヴィエト・パレス》をベースに神社をモダン化させたといわれているけれど、それってこんな感じになるんですかね。いや違うな。すみません丹下先生。

仏閣の建築要素がそがれているわけではないけど、何というか無駄な装飾がない感じ。
みなとみらい地区に弧を描いて聳えるビルと妙にマッチしていて。


         


で上記のビルのわき道にも、これまた素晴らしい建物が!
上左は今研究しているBDNCHのアルメニア・パヴィリオン!
ではないけど、極度に引き伸ばされた両脇のオーダーと装飾列柱を髣髴とさせる一階部正面の縞状の壁が、執筆中の論文で問題にする「民族建築様式+古典建築様式≒ソ連建築様式」という論証を呼び覚ます。これは違いますけど。

右はおそらく昔からあるであろうビルの一階部のみ改築し、小料理屋となっている。木材をファッサードにあしらい、横長の穴を穿たせている。そのことで、内からの照明による陰影のコントラストを装飾としてより引き立たせているのが小粋だねぇ。

  


じゃあ、目的地へと思ったらこれまた。
本町小学校。宇野薫商店の向かい側にあります。体育館と思われる(バスケの音がしたから)円形の建造物と教室などがある四角い棟の組み合わせがよい。


仏閣以外の前記建造物が縦長だったのに、これは横長。この小学校がある通りは小学校より高い建造物がないんだけど、向かい側は逆に縦長建造物が多い。


一応町並みが保たれてるのかな?

1/17/2009

ビデオアート

この作品形態をどのように規定するのか。


ビデオじゃないと表現できない、何かしらのコンセプトがあるからか。

それともビデオ(映像)というソフトの構造そのものと戯れるためか。

はたまたそれが流通する社会で、創作行為を有効なもの(多くの鑑賞者を得やすいということ)だからか。


創り手ではないので、堂々巡り。


まぁそんなことはいいとして、在モスクワのデザイナーが「東京のエッセンスとモスクワのエッセンスをブレンドした」という作品を創ったとのこと。

どちらとも、帰国の時にその友人にあげたYMOの楽曲を利用してます。

「これが日本の誇る最高の音楽だから」なんて吹き込んで(笑)。とは言え、もう30年ちかく前のサウンドなのに、寮の外国人留学生(俺と同じくらい)の大体がYMOを知っていたのは驚いた。

YMOは中期("BGM","TECHNO DELIC")が最高っす。

うまく絡んでいると自画自賛。今度はあちらから曲を送ってもらって、こちらで画像処理してくれとのこと。

ますます、論文から離れてます。やべぇ

1/12/2009

彼がパンに指を突っ込んで、引っ張ると…

「鼻があった!イヴァン・ヤーコヴレヴィチは手を下ろして、目をこすり触って確認してみた。鼻だ、そう鼻ではないか!」
八等官コヴァリョフさんのなんですけどね。


確かこんな文章で始まった、奇怪極まりないニコライ・ゴーゴリ作『』。
文学をまじめに勉強しなかった私が、ゴーゴリで覚えているのはこのくらい。
芥川の場合、逆ですよね。なくなるんじゃなくて、長くてそれが嫌で短くするっていうやつ。
二つとも主人公のコンプレックス(ゴーゴリのは官位、芥川のは容貌)と結びついていて、読了後、作家の目の付け所と共通性に妙に感心した。


春に立ち上げる学会で行うシンポジウム企画の話し合いをするため、渋谷のtokyo salonard cafeへ。


モスクワ留学中に同じ寮でよくつるんでいた、Dさんにそのシンポジウムの発表者としてお願いした。その中で、ゴーゴリ生誕200周年の話になり、ふと上記のくだりを思い出した。


で、その会合でシンポジウム企画から脱線して、ゴーゴリ生誕200周年記念特別シンポ企画が持ち上がる。 話は大いに盛り上がり、上記学会の二回目ないし特別枠で企画すると述べ、企画をDさんに依頼。 かなり勝手に進めてます。


個人的な希望としては、学部時代に東京工業大学でやっていた「夏目漱石論」。夏目漱石のある作品を哲学者、文学者、社会学者が討論するセッションがあった(うろ覚え)と思うけど、そんな感じでやれればなぁ…

参考にしたいので、上記東工大の授業に関する詳細情報求む。

1/10/2009

四谷ぶらり旅

一昨日、仕事の関係で四谷三丁目付近をぶらり。


行き先の場所がわからず、狭い路地を行き来していると、
一つのことに気付く。「町並みがいいな」と。


昼間で静かだったこともあって、落ち着いているというか、ほっとする。
圧迫感がないんです。

何故か。勝手な解釈だと、塀のない一戸建てやアパートがあって、道路と延長上になる形で玄関部や駐車スペースが構成されている。だから、塀で道路が囲われているという印象がなく、狭いんだけど圧迫感を生じさせない。

あと、ここらへん結構アパートが多いのだけれど、そのほとんどが相似している。
四谷アパートメント》っていうデザイナーズマンションと昔ながらのアパートっぽい物件(下図)が上手く絡み、わき道に入ると神社なんかあったりして。結構イイ感じだ。金があったら住みたいな。


  

学部時代には新宿通りの向こう側の飲み屋街に繰り出していたが、その記憶とこの地域が何かリンクしてしまい、妙に懐かしい思い出が蘇った。

1/05/2009

『消された月の物語』

1926年、ボリス・ピリニャーク作。


トロツキー失脚後の軍事評議会議長M.フルンゼ変死疑惑を扱ったセンセーショナルな作品(原文)。


下の写真は同名映画(1990年、E.ツィンバル監督)フルンゼ役を扮する名優V.スチェクロフ。






なんでこんな作品を思い出したかというと、留学中によくつるんでいたイタリア人の友人から年賀を頂戴したからだ。年齢も近く、日本で言うところの博士後期在籍。ピリニャーク研究。

修士のときのK学長のゼミで翻訳課題が出され、ついこの話を思い出してしまった。



近々、博士取得口頭試問があるそう。

彼女はスロベニアの国境沿い出身で今はスロベニアにいるとのこと。

スロベニア語の注意が書かれた「camel」を寮の階段で吸いながら、社会主義リアリズムの芸術政策について長々とまぁよくしゃべったもんだ。



そのときの断片。

「ピリニャークってあんたの国のスパイってことで殺されたんだよね」。

「そうなんだ、彼日本のことについて書いてるんだ『Корни японского Солнца』ってやつで。しかも『消された月の物語』の出た年に日本に来てたんだぜ。知りすぎたものは消せ。当時の鉄則じゃないか。芸術分野では。」。

よく考えると、すごい話してたな。

あー懐かしい。というか、こっちは口頭試問いつになんだろう。

1/04/2009

正月、終わり

ついに明日から仕事。というか、学生(未だ)なのにおかしい話だ。

やっぱ奨学金取らないとまずい。
書類が面倒で出さないで通していたが、研究に集中できませんな。
金と時間、どちらを取るか。研究以上に大きなテーマだ。

そんなことを正月から考察しつつ、世間の皆様と同じく正月セールに足を運んだ。
結局購入したものはCDとトレーナーのみ。しめて約8,000円なり。
トレーナーはいいとして、久しぶりにCDを購入した。

留学中は露店で売っているMP3(大体300円から1000円くらい)ばっか買っていたので、正規のものを買うのは一年半ぶり。


でそのCDとは「CARL CRAIG & MORITZ VON OSWALD / RECOMPOSED REMIXES」。

テクノというジャンルを聞き込んでいる人ならば、ご存知でしょう。

デトロイト・テクノの雄Carl Craigヘルベルト・フォン・カラヤン率いる1980年代のベルリン・フィルハーモニーの楽曲の断片をこれまたミニマルテクノの大家MORITZ VON OSWALD (MAURIZIO名義が有名)と再構成。カラヤン&ベルリン・フィルもすごいが、テクノ好きにはCarl&Moritzの組み合わせも豊潤。


レーベルもDeutsche Grammophonだから、どうみてもクラシックじゃん。CD屋のクラッシックコーナーに置かれたら、クラシックファンのおっちゃんとかがジャケ買いしたらどーすんの!
だからジャケットもこんな感じ↓



原曲の面影はほとんどなく、何だかアンビエント。とは言え、ところどころ原曲の気配というか楽器の音色が聞こえたり聞こえなかったり。強いて言えば、昔NHKの自然科学特集シリーズ番組の中で、宇宙を特集した回に流れていた細野晴臣の楽曲に近い(かな)。
買う価値ありですぞ。
正月早々、いいものに巡りあえた。

1/01/2009

心機一転

初心忘るるべからず。
という素晴らしい言葉があるので、新年一筆目に掲げてみた。

そう「できるだけ怠らない」という目標をかかげたものの、
終わってみたら一ヶ月ペース。いや、これ書くのもそれよりももっと遅い。


今年は「二日に一回書く」。
いかんね。


ほんとは大晦日に昨年のやってきたことを振り返るんだけど、年跨いでしまったが、その痕跡を貼り付けて今年度の戦略立てるか。
査読付き投稿論文2本、商業誌1本、web寄稿7本、企画2本(tablogは含まず)。
ほとんど、私自身の実力ではなく、お会いした人々とのなにかのご縁で書かせていただいたようなもの。
振り返ると、非常に恵まれた人的環境にいたと実感。ありがたや、ありがたや。
とはいえ頑張った。今年もこの勢いだ!