8/22/2009

change of life

1992年、ジェフ・ミルズのCDアルバム《Waveform Transmission Vol. 1》中の一曲



耳に残るミニマルなサウンド。
「ゴリゴリした音」っていうのは、
まさにこの曲を表現するためにある言葉使いなのだなと、常々思う。


この年にデトロイトから発信され、いわゆるテクノ・ミュージックにおけるマイルストーンとなる《Strings of life》(rythm is rythm名義、デリック・メイ)に対する応答で創り上げられたらしい。
さしづめ、場外インタープレーってとこか?



まぁ、そんな前置きはいいとして、
ほぼ日帰り(20日深夜(24時くらい)から21日の夜19じくらいまで)で越後妻有アートトリエンナーレに行ってきた。
2-3の作品しか鑑賞できなかったが、C.レヴェックの《静寂あるいは喧騒の中で》(2009)はやはり印象に残った。

静寂と喧騒という対立概念が作品名に混在し一方を選択することで他方が解消されるから、
その場に生じる現象はそのどちらでもないという論理になる。
だけれど、鑑賞するという行為は、感覚や論理そのほかの作用を総動員するから、
様々なレイヤーからの判断が生じる。
だから、意味という一つのフェーズからなる「タイトル」をいい意味で裏切ってくれる。
まぁ、このことって見ようによっては他の作品にも言えること。

でも、そうした蓋然性を越えてインパクトを与えてくれたのが上記作品だ。
つまり、聴覚と視覚のインタープレー。
ちと強引な繋げ方かな。




もう少しつなげれば、このあとに見たC.ボルタンスキーとJ.カルマンの《最後の教室》(上:2006)の雰囲気と似てるというか、静寂なんだけど作品に付着する物語が鑑賞者を飲み込む形で視覚と聴覚に訴えてくるあの「ゴリゴリ感」。


レヴェックの作品がボルタンスキーの影響を受けたかどうかわからないけれど、
何か「インタープレー的」なものを感じた。

考えすぎかな。

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