4/30/2009

SWEET HOME

1989年、監督:黒沢清。

タイトルとは裏腹にホラーです。
ガキの頃見て、かなり衝撃的でした。


この作品のDVD化は絶望的だそうです。
(制作側の伊丹プロダクションと黒沢監督の間で裁判になっている。
詳細はここ。)


Youtubeなどで断片的に鑑賞し直すと、
なかなか味わい深い作品であることに気付く。



まず、禍々しい映像の中にも所々に静謐な場面
(地が滴るところとかボールが普通の速度で転がるところ)
が挟み込まれていること。


あと、速度が遅いし音楽も余計にはいらないところがいい。
でも、ホラーってこんなものなのか?
あまり見たことがないから何とも評価できませんが。

いやはや、さすが稀代のメディアプロデューサー黒沢。
20年前にこんな作品を創っていたのですな。乾杯!

これと似た感覚を覚えるのが、日本のロックバンド「人間椅子」。

どうかねこの情緒性?

4/26/2009

原始、女は太陽だった

1995年、中森明菜(作詞: 及川眠子、作曲: MASAKI)。

平塚らいてうではございません。

しかしながら、彼女の篤さ(上記リンクでは「熱い」)は好きです。


先日、知人女性のツテで「女子会」なるものに潜入。
生まれて初めて、女装しました。
だって女性しか入っちゃダメっていうんだもん。

ワンピースに口紅、真珠のネックレスを借りました。


女性なら、キマるのでしょうが私の場合
髭の濃さは隠せず無様極まりない姿に。



でも、女装はいわば後天的に抑圧された「性」に
対するアンチテーゼ。

上記のらいてうが述べる「男女同権」は、この抑圧されたとする
「性差」をデ・ファクトスタンダードとしてまず受け入れる。
そこから何か始めようという姿勢。

私は、後者の考えのほうがなにか大らかさを感じ、
全く違う文脈なんだけど「原始、女は太陽だった」の中に母性的なものを
認めてしまうんだけど、どうだろう。

たいして、まじめではないけれど、ふと思った。

4/12/2009

嗚呼素晴らしき哉、わが人生。


今、CAMPで展示している川崎昌平君の作品(上)。
こういう感性を常に保ちたいものだ。

4/06/2009

俺たちに明日はない

1967年、アーサー・ペン監督作。


桜が満開。新入生、新入社員が初々しいこの時期にこのタイトル…

落ち込んでいるわけではないが、
この言葉をかみ締めることによって、

一日を大切に生きようと思い始める今日この頃です。


というのも、学部時代の友人の結婚席(下)に呼ばれよい刺激を受けたのと
友人が続々と自らの分野で活躍し始めてきたからだ。





先週の話になるが、101 Tokyo contemporary art fairアートフェア東京へ足を運ぶ。
友人の活躍が眩い(下)。




最近、姑息になりがちだったので、背水の陣を敷き

来年度までに博士論文を出すと公言。

それに向かって自分も頑張ろうと奮起した一日でした。