3/26/2008

春はあけぼの、陽は高らかに



モスクワにもやっと春の息吹を感じるようになってきた。

それと共に常々感じるのは、時間が経過するのはなんと早いことか!ということである。

振り返ってみると、モスクワに来て研究テーマを急遽変更したり、それに応じて新しい知識をためたりと、日本と何ら変わることなく過ごしてしまったという悔恨がややちらつく。他の留学生のように外国人同士どこかへ出かけたり、熱く互いの夢をキッチンで語り合うということはせず、まぁ地味だったなと。


とはいえ、研究と共に実りが多かったのはアート関連。今週からモスクワでは「モスクワ国際写真ビエンナーレ」が開催されており、モスクワ中心部にある各ギャラリーで、これに関連した様々な展示が開催されている。大きな会場だけでなく、提携先のギャラリー(だいたい20くらいだったとおもう)でも開催され、3月下旬から5月中ごろまで断続的に開かれている。


今まで見た中で、最もよかったのはジャーナリスト・センターで開催されている「心理学的プロジェクト―MIRROR」の展示とギャラリー「A-Z」で開催されている、ミーハーで申し訳ないが、ロトチェンコの娘(ヴァルヴァラ・ロトチェンコ)と孫(ニコライ・ラヴレンチェフ)が撮った作品の展示(もしかしたら逆かもしれない)。

前者は自己の鏡像をテーマにしているのだけれど、色彩の使い方、モノトーンの使い方が、多様な自己像のせめぎ合い、それによる緊張感を引き出しており絶妙(下図は上よりマウリツィオ・マルカト《鏡、水》(2007年)(左)とカーチャ・ゴリツィナ《鏡の舞台》(2007年)(右))。





















後者はロシア・アヴァンギャルドに活躍した人々の晩年が「記録」として残されている、一方でフォト・グラムを利用した「デザイン」によって今一度写真に活力を与えようとする努力が見られてよい(70年代の作品だが、当時は抽象写真は原則好まれなかったため、デザインという分野でこのような使い方がよく使われていた)(下図は上よりヴァルヴァラ・ロトチェンコ《パーヴェル・ジェレズノフ作『回想詩』より、ヴラジーミル・マヤコフスキイ》(1973年)、ニコライ・ラヴレンチェフ『未来派詩人、アレクセイ・クルチョーヌィフ』(1965年))。

とりあえず、今週と来週に続々とオープニングがあるので気分転換に足を運んで刺激を受けてこようかと思う。






















3/15/2008

体力の限界…

最近、寝入るのが早くて困っております。





こちらは、気候の変化がはげしく、昼間暖かいと思いきや、部屋から出ると急に雪が降ってたり、気温が高いと思ったら、風邪が強くて体感温度が低かったりと。慣れませんな。





この気候の変化によって、やたらと疲れるのです。齢二十八が原因と思いたくないのですが、徹夜が出来ない。酒もきっかりモスクワでは断っているのに、毎日二日酔いにかかったように頭痛がするのです。





とは言え、ロシア語の授業の課題(週一回のくせに)がほとんど暗記ものなので、もう少し夜遅くまで起きて暗記に励まないといけません。





さて、今回も研究関係のはなし。





毎週金曜にメディア芸術史という授業を取っていて、ベンヤミンやマクルーハンの理論を土台としてコンテンポラリーアートの作品を分析するという授業。なので、かなり早口で講義されても、何とかついていけています。しかし、ディスカッション中心の授業なので外国人の私としては、ロシア人のあの捲し立てる論理展開がつらい。しかも話すスピードが彼らよりも遅い。だから人の話を聞かず、連中は先に進みやがる。あぁ、悔しい。





日本語、英語、ドイツ語で何とか読みきったベンヤミンを再びロシア語訳で読む羽目に。それほど外国語は得意でないのに、死ぬほど外国語文献に浸かって、たまに日本人であることを忘れてしまいます。





加えて建築史の用語を母語より先にロシア語で覚えてしまったため、日本語で読み直すときに苦労しそうだ。





ちなみに今読んでる建築史の本は以下の通り。


1、H.ベルフリンの影響を受けてフォルマリズムと断罪され長く牢獄生活を送った建築史家I.A.ネクラーソフ『建築理論』


2、30年代ソヴィエト建築に古典建築の要素を導入し「赤いドリス」の理論的基礎の確立に寄与したN.ブルーノフ『建築史に関する記述 一巻、二巻』(右下図)


3、同じく30-40年代活躍し、美学の観点から古典建築を捉え、ソ連に古典建築を確立させることで、ソ連建築から新たな歴史の古典を伝承させようとしたI.マッツア『創作方法と芸術的遺産について』





一番を除いて完全にアジテーション書物と言えるかも(笑)。とはいえ、そうした「時代精神」の尺度を勘案しないとこの時代に生きた人々や文化が全否定されてしまう。これは何も、特殊と思われがちなソヴィエト研究だけでなく、当時の日本の文化全般を扱う上で、どういうスタンスを取るかは重要な点であろう。残念ながら、日本ではこの時代はナショナリズムと結び付けられて語られることが多いので否定的に扱われている(ロシア人の教授に何度も指摘された)。文化現象としてこの時代を紐解く観点が、今後求められるべきなのだが・・・
ただ、そうした文脈が建築批評に対してどう影響を及ぼすかという点を研究し、「古典建築」がどのように受容され、よりダイナミズムに「クラシック」が構築されていたのではないかという点を知りたい。そのため、これからの長い研究道の第一歩になるのでいいのです。

ますます、読書への体力が求められる。

3/07/2008

久しぶりです

実に久しぶりのアップ。
というか、住んでいる寮のネット環境が電話回線接続のため悪く、画像配信もままならないので決められた要件でしかネットを使えないという実に厳しい環境。と理由付け。

ブログをアップしない一ヶ月の間、様々なことがあった。

まずは自分の身の回りのこと。

外国人学校の授業をほとんど出なくなり、正規の大学の教授に論文指導を受けることに。
前々から、正規の授業で建築史を専門的に学びたいと主張していたら、「じゃああたしが論文指導するから」ということで毎週おしゃべりついでに、建築史に関する質問、自分の論点の確認、方向性のチェックと胃が痛くなる毎日。たかだか一時間から二時間ロシア語で話すのだけれど、部屋に戻ると体力がなくなり、すぐ寝るという日々っす。

結局話しを重ねていくうちに、ソ連建築史を基盤として1930年代の建築批評や建築作品を分析した博士論文を書くということに。「空間造形史」というジャンルを構築するために、美術史と建築史を重ねたものとなると、展覧会デザインやペーパーアーチテクチャーに焦点を充てて、テーマを絞りつつあります。

よってまだロシア語には慣れていない。というか、本ばかりを読んでいるので、ロシア語会話力ははっきり言って上達していませんな。

基礎文献はH.ヴェルフリン『美術史の基本概念』、O.ショワジー『建築史』、M.ウィトルーウィウスの『建築十書』(すべてロシア語翻訳)。あと5ヶ月で読み終わるのかどうか心配だが、とりあえず要読破。上記の教授から建築作品分析の課題を出されたので、それもこなしております。

あとはやっと新しい同居人(フランス人)が来た。残念ながら、ロシア語は全く話せず、たどたどしい英語でやりとり。しかしながら、彼の英語はフランス語訛りが酷く、全く聞き取れない。とはいえ、基本的に悪い人ではなさそうだから、上手く付き合っています。部屋に入ってくるなり「サリュー(やぁ)」はないだろう。

今度は一週間に一遍ペースで書かないと。