11/01/2008

怪物

レッドソックスに在籍している、かの投手の昔のあだ名のことではない。

80年代に日本ロック界に旋風を巻き起こした、遠藤ミチロウを指している。
なんで?

答え―「スターリン」つながり。

先日、とあるbarで知り合いになった人となぜか80年代ロック談義。ヒカシューp-modelあぶらだこ、非常階段、hanatrash等メジャーに乗っかんないような名前が飛び交う中、一致して「スゴイヤツ」に至ったのが彼が参加していたスターリン↓



すっげぇ歌詞が卑猥。こりゃ当時放送禁止のお墨付きになったのもわかる。
でも、なんというか、エロイんだろうけど、性欲を刺激するんじゃなくてどす黒いエロさを感じるんです。詞がいいってことかな?

演奏もかなりハイレベル。バックのsaxがキレてる。こりゃすごいわ。
いつだか80年代をテーマにした映画があったけど、パンク/ロック界のこのエネルギーなしには語れませんな。

10/26/2008

散策、鑑賞、思索

という流れが、最近定着している。



先々週まで一ヶ月間バイトが見つからず、論文も行き詰まりかけていたので、「神より賜りし」とばかり、ギャラリーめぐり。
とはいえ、興味のある展示ないしは横浜近郊だけですが。
先述した「スクラッチスタイル・オープンスタジオ」というところで橋本聡さんの展示を鑑賞。
campの同志、Oさんが関わった韓国での展示「Loop」(詳細わからず。すんません)に出展され、今度のcampで話に上がると言っていたので見に行く。

自らを机に手錠で束縛し、生活を送っている(ようだ:右図)。コーヒーを勧められ、ぎこちない捌き具合で入れてもらい、コーヒー片手に互いの興味等を話し合う。パフォーマンスだと思うのだが、作者が作品内に閉じ込められるというか、一部になってしまっているという状況が妙。作品―作家の関係が逆転している。鑑賞者はどちらに接しているのだろうかと、回答が宙吊りなのがよかった。


その翌日、とある勉強会の前に友人のI君が出展している《事の縁》というアートプロジェクトに行く。


鶯谷にある旧坂本小学校その他が会場で、友人の作品はその小学校にあると聞き、その小学校へ。「サステナブルアートプロジェクト」というキーワードを基に、地域と作品そしてそこで生まれる関係を持続し、かつ距離をどう作品に反映するかというのがテーマらしい。


I君の作品は、留学中に鑑賞できなかったとある展示会で波紋を呼んだらしいが、今回の展示はそのつながりらしい。この作品の鑑賞後、体調不良。


今度会ったらしばこうと思う。

ただ、彼の作品の前の教室の展示作品も同じテーマで展示されているのだが、趣が全く異なっていて、その対比が面白かった。方や日常行為の循環、一方ではある個人の生活の循環。その結果として、選択された同じオブジェ(対象物をここでは明かしません)。ただ、展示会場という土地の特性はどこ行ったんだと突っ込みたかったのですが、それ以上に作品がしっかりしていた(オブジェとしての特性がフルに活用されていた。だから私は体調を悪くしました)から、今回は揚足を取りません。


で、結局やっとバイトも見つかって、残念ながら、気ままな「散策→鑑賞→思索」はできなくなりそう。とりあえず、生活費稼ぐことが先決ですな。

10/15/2008

多忙?

この前の土曜日に、無事CAMPも終わり一息。

といきたいところだったが、休めないのが悲しい性。
とある雑誌から先月末に原稿依頼を頂き、今日締めであったチェック原稿の赤入れと構成直しで一日潰れる。

投稿記事は、自分の専門ではないのだけれど、「業績」に目がくらみつつも、
自分のことを買っていただいた嬉しさから即返事。

自分の専門だったら、あれこれと試せたんだけど、結局手堅くまとめてしまった。
載ったら、皆様、ぜひご一読のほど。

昨日は、事務手続きのため久しぶりに外大へ。
博士論文指導教官が新任の先生に移り、自分の研究と展望を盛り込みあれこれと話し込む。

N先生に鼓舞され、頑張ろうと意識を新たにするが、帰宅後、次の投稿論文執筆中(外国語)につまずく。一日一ページ書けないもどかしさと焦り。学部時代(上智)のI先生から頂いた、「外国人であるということを認め(外国の建築史だから)、ネイティヴには気がつかない点を掘り下げて研修しろ」というお言葉が過ぎる。たしかに、日本のアートであったり、建築の面白い論文って外国人研究者のものが多い。自分もそうありたい。

やはり息抜きもかねて、好きな登山に行くべきか。
とりあえず金がないから、個人的に注目しているアーティストの「橋本聡展」でも足運ぶか。
金と時間はないのに、悩みは多い。

10/10/2008

多忙一週間

疲れた。




風邪も引いた。というのも、この一週間、自分らでやっているCAMPがやっと終わった。
で、バイトもまだ見つからないので、終日ギャラリーに張り付いてました。


論文バリバリ書くと、周りに言いふらしていたのに、何やってんだか。




でその論文。
テーマ決まって、導入部を外国語で書いてみる。
ぶっつけで外国語で書くのと、日本語から翻訳して書くのとでは使用言語が異なるのに気づく。
というか、相互翻訳のニュアンス差異に苦戦。


何も予定がなければ、部屋に篭って、よくて一日に1ページ。
年明けまでに、完成させないと次に進めませぬ。


とまぁつらつらと書いてみました。


何かいいバイトご存知であれば、ご紹介下さい。皆様。


ちなみに下の写真は、わがCAMPで講演していたchim↑pom



10/02/2008

うわっ 一ヶ月も放置しちまった

帰国して、様々なことを処理していたら、もう一ヶ月。


早いものです。時間が経つのは。

横浜トリエンナーレの取材したり、早くも次の論文に取り掛かったり。

ちなみに次はVDNch(厳密にはこの名前以前、スターリン時代にオープンしたBCXB)と呼ばれる、ソ連時代の博覧会施設について。果たして博士論文構想(1930年代のソ連建築の一潮流―メガロマニアと現実空間の混濁ってのが、目下タイトル)と合致するのか心配。


で、いきなりこの場を借りて宣伝。


例の「CAMP」というイベントで展覧会について話します。


10/3(金)の20時から。

客足がまばらなので、お時間ある方はサーバー入れたてのビールでも呑みに来て下さい。


P.S

貼り付けた画像は横トリのもの。


8/31/2008

あーぁ。帰ってきちまったよ

これが本音。





やっと慣れてきて、博士論文提出先を海外の研究機関と考え、情報収集をしている矢先に帰国。


無念。





その研究機関は9月からスタートなので、直接担当者から話を聞くことはできなかった。


一応研究機関に所属する場合の条件(要はテスト科目と手続きに必要な書類の詳細)、所属した場合の住居斡旋(研究員のコネを頼って、どこかに居候)だけを手がかりにできたのは、まぁ善しとするか。





で、帰りのフライトが5時間近くも遅れ日本に帰ってからも豪雨の影響で、実家までの電車が遅延。到着したのは夜11時。





まぁ、そのおかげで、海外に研究資料収集に出かけていたお世話になった教授と電話で話ができた。というのも、7月から8/29までスウェーデンに行っており、私の帰国日に彼女もロシアへ帰国というわけ。



「この電話の会話が、直接あなたとお話ししたという最後にならないよう、死ぬ気で奨学金取って、また来ます」なんてことを延々15分くらい話した。「あー、こんなベラベラ口から出るようになるまで、一年もかかちまったよ」と日本で会話の授業を重視しなかったことを後悔。というか、授業出てなかった。





この教授は17-18Cのいわゆるバロックとロココ建築様式専門(ルネサンスの美術史も教えておられる)なんで、専門はまったく別。ただし建築作品分析のベースをあれやこれやと教えていただいた。結構、スタンスの違い(擬古典主義建築やイデオロギー建築を評価するかしないか)から揉めましたけど。



こんな外国人のへんちくりんな学生にご厚意あるご指導ありがとうございました(Blagodaryu Vas za doblolyubeznoe rukobvodtstvo i to, chto vy prepodovali metod po architekture takomu inostrannomu studentu, kak uvlekatelyu k vanal'nym architekturam)と、ロシア留学記を締めておく。

8/20/2008

営業活動

僕は働いてません。



ですので、このタイトル意味するのは、他の研究機関に自らの論文ないしは研究を紹介し様々な便宜をはかってもらうという、結構いやらしいことでございます。



次に執筆する論文のテーマと方向性が決まり、先行研究を探す日々。国立図書館で、読みたい先行研究の論文のさわりはレジュメで読めるんだけど、前文はその論文が提出された期間でしか読めないというややこしいシステム(日本でもそうか)。



探している論文が国立芸術研究所(右)というところでしか、読めないとわかり、所属大学で通行許可書類を作ってもらい一昨日から通い詰める。


でこの研究機関がすごい。最初、劇場かとおもうほど豪華な内装(右)。「じゃあ、これがその論文ですので横の部屋(写真)で作業してください」といって約4時間もこの空間を独り占め。一応、家に帰る際に司書の人にここの研究所は外国人を受け入れているか(つまり博士論文を提出できるか)を聞く。基本okらしく、指導教授さえこちらで決めて所定書類を提出すればいいみたい。学費はタダらしい。というわけで、「何年か後に来ますので、宜しく」と挨拶。せこい。

まだ全文を読みきれていないので今週の金曜まで通いつめっす。


8/19/2008

立て続け

今、このブログでいつだか紹介したcafe bilinguaで投稿論文のチェックしてるんですが、果てしない。

今日徹夜だ。というのも、明日、ロシア語を見てくれてる先生に表現の可否と正確な意図で文章が書かれているかチェックしてもらうからだ。


いかんせん、A4で40枚。註釈で4枚。

こちらの指導教授から枚数減らせと言われ、どこを削るかで煩悩中。

「あんた、これで他の建築作品比較付け足してphdの審査出しなさいよ」(指導教官=女性ね)と褒めてくれてるんだか、とっとと博士論文書けと発破かけられてるのかわからん言葉を頂戴した。


以下は全てロシア語から


タイトル-「独自性から久遠性の高みへ―建築プラン《ソヴィエト宮殿》におけるモニュメンタリティについて」

一章-コンクール-建築プラン《ソヴィエト宮殿》について

二章-コンクール二巡目以降の「古典建築」への急転

三章-建築プラン《ソヴィエト宮殿》におけるオーダー、柱式の復活と規模の問題

四章-建築史からの逃避-「新しさ」の不必要性。建築プラン《ソヴィエト宮殿》における「古典主義」構築への志向


これ、どう?


8/18/2008

近況






平日―建築アーカイヴと建築図書館、歴史図書館の往復。



週末―仕事帰りの友人と川辺で飲むか(下図)建築物を撮影。

貼り付けた写真は雀丘(vorovievy gory)に佇む著者(大分ふけた)と呑みすぎた友人を快方する友人。






8/15/2008

海外支部設立

会社ではない。


このブログに久々に投稿するかと思いきや、この知らせ。

やっと論文も一息ついて、帰国間近だというのに、次なる論文の資料集めにてんてこ舞い。

その折に、こちらで仲良くなったロシア人デザイナーの友人(週末は彼の家に招待され、夕食等ご馳走になっている)とデザイングループを創ってしまった。モスクワー東京が一応謳い文句。


名前はflying-artgroup。その昔、深夜番組で「とぶクスリ」なんてのがあったが、それに劣らぬエキサイティングな団体になれば。



ちなみに彼はモスクワのアパレル会社の広告デザインを手がけており、かなり忙しい。とはいえ、私のようにあれやこれやと手をつけており、大学時代の友人ともインテリア会社を立ち上げている。


今後彼は中国でデザインの教鞭(2-3の大学から依頼されているみたい)を振りあちらで生活基盤をたてるとのこと(奥さんと)。だから、このグループはモスクワー北京ー東京間のグローバル(メインストリームじゃないから「反グローバル」かも)団体として今後が期待できるかもしれない。

7/26/2008

褒めれば子は育つ。

この法則に従えば、今は立派な社会人のはず。
と回想するのにも理由がある。二週間もブログを放置し、論文に専念し昨日やっと全章を書き上げた(もちろんまだ手直しするし、導入部と結論をまとめなければならない)からだ。というわけで、褒めてもらいたくてブログに手を出した。


とはいえ、外国語で論文を書くということは当たり前だが、非常に難しい。いかんせん、こっちでの生活に慣れて間もなく(6ヶ月目から)論文に着手したから、学術論文上での表現技法を知らないまま書いた。そのリスクとして、どうでもいいような日常会話(異性のネタや日用品、下世話な表現等)を習得できなかったのは残念。


で、他の論文で使われている表現や講演等で聞いたロシア語をあれこれ使ったので、ものすごく赤が入ると思う。次回課題は学術表現の習得ですな。もちろん「おしゃべりの時に使うロシア語」も。果たしてその望み(つまりもう一度こちらに来ること)は叶うのか。
乞うご期待。

ちなみに添付写真は次の論文で扱う「旧ソ連赤軍劇場」。寮の近くに聳えています。

7/02/2008

ついてませんわ

今日はついてなかった。

建築美術館のアーカイヴが毎週火曜日しか開かないので、朝から詰めて資料収集。

論文に載せるため、掲載画像の出典元をひたすらノートに写経。
昼食後、腕が重い。重い。

肘に何か付いていると、ふと見ると流血。
肘を突いてノートを書く癖があったので、それが祟ったらしい。

というか、俺ってそんなに皮下脂肪がなかったのかと愕然とした。

早々に切り上げて、寮の友人たちが残していった本を処分しようと古本を買い取ってくれる本屋(dom knigi)へ。
「買取はロシアの市民権を持っている人からのみ受け付けます」と断られる。

まぁこういう日もありますわな。かえってクランベリーズを聴く。

6/25/2008

きてます、キテマス…

一時はやった、「ハンドパワー」を行う時の名台詞である。

マジックとトリック。つまり自らの手わざと存在するものを混合させ、摩訶不思議な体験(魔法にちかいもの)を提供してくれる、すばらしい阿父が15年程前にいたことを思い出した(今でもしばしTVにてご活躍中)。

昨日、オーストリアの作家Erwin Wurmのプレス用内覧会がモスクワ・アーティストセンターで開催されたので鑑賞に行った。
入り口正面に、ヨガの達人(名前失念)が念力で曲げたというVWGのワゴン車が展示(左)。しかもバックミュージックにレッド・ホット・チリ・ペッパーズの《Can't stop》が流れている。パッと見、かなり期待できそうという雰囲気を漂わせる。
これまた、前情報を蓄えていかなかったので、知識をフル動員させて理解に努めようとしたところ、アーティスト自身が解説するツアーが開催されたので、それに参加。


解説によれば、展示作品は「まじめ」ないし「普通」のものが角度を変えて提供されている。それによって我々の「時代精神」(「der Zeit Geist」とドイツ語で言っていたので間違いのない訳)を表明されているとのこと。
展示作品を見てみると、上記のワゴン車や「アドルノ」と名づけられた人体を模写しつつもペチャンコに潰れた彫刻作品(右上)、ドリフト状態に保たれて展示される自動車、始終片腕を挙げて皿を保ち続けて生活する人の一日を取ったビデオ作品(右下)、重力に逆らうような空間構成(下から上へ水が流れたり、平面なのに物体が横滑りする)映像等。見飽きない作品が多かった。

角度を変える、ないしは一つ手を加えてみる。
このことによって形而上学的に表明しえなかった世界が、これほどにも簡単に面白くしかも奇異に表象し得るとはなんとも愉快。
あと羨ましく思ったのが、このアーティストを支えるパトロンの存在。彼の大方はグッゲンハイムがコレクションしているのだけれど、ドイツ語圏で最大のKunsthalleのキュレーターがわざわざ来露して延々Wrum氏の作品を解説(30分ぐらい)。
日本だと作家によって、他人からの解説を拒む人を見かけるけど、それはこうした支援者と制作者の信頼関係が熟成されてないからなんじゃないかと感じた。
まぁ久々に面白い展示を見せてもらい、Wurm氏に感謝!

6/19/2008

『あらゆる場所に花束が…』

っていうタイトルの文学作品があった気がする。

確か、中原昌也(暴力温泉芸者)がこのタイトルで文学賞を取っていたような…
それで思い出したのが、彼のノイズミュージック。

モスクワの音楽シーンでノイズミュージックに人気が集まってきている。

先日、見に行ったアウクツィオーンも厳密なカテゴリーではこの分野に属さない。だが、まぁやかましさという点でも組み入れられるだろうし、生演奏だけど音の構成が非常に緻密かつ意図的に騒音というか音量をうるさくしているという点でも広義でこれに属する。
そんなこともあって意外とモスクワ連中にノイズミュージックの受けがいい。

で、話が飛ぶんだが、昨日カールステン・ニコライ(ドイツ:左の兄ちゃん)の単独講義(講演)がモスクワで開催された。

YCAM(山口情報芸術センター)で作品展示があったと、とある人から聞いていたので、てっきりコンテンポラリー・アーティストだと勘違いしていた。だから講義が始まるまで、人だかりに驚く。

コンテンポラリーアートも人気あるんだなーと思っていたが、講義を聴き(英→露)作品を拝見して、「ノイズ系ね」と人の集まりを妙に納得。

厳密には「インスタレーションを中心とした音を用いた作品を多く手がける」んだけど、CDとか確か坂本龍一とコラボもしていたりする。
ノイズミュージックには、私はもちろん精通しておりません。
だが、この講義で提示していた彼の作品はテレビの走査線を解析して映像とその映像から紡ぎ出される騒音から成る。だからといってうるさいと感じるよりは、緻密さを感じる。こういってよければ心地好い。
で話は戻って、中原昌也。
彼の本を読んだんだけど、文学批評のできない私としては、何とも難しい。読売新聞の対談で蓮実重彦(映画・文芸批評家)が「あなたはカフカだ!」って絶賛していたけど、なんというか非常に刹那的。いい意味でも悪い意味でも先が読めない。これって彼の音楽(Hair stylistics)にも通底する要素で、やっぱそこはノイズ・ミュージックだからなのか?いやぁ、研究の余地ありですな。音楽評論家ないし表象文化専攻の皆さん。
そういう線上に「楽しさ」を求める自分は、破壊的衝動があるのかも…
最近、論文で文章構成のことばかり考えて一日を過ごすからなのか?

6/03/2008

俺はネップマン

Нэпман」という唄がある。

いつだか、寮に遊びに来たロシア人学生に「ロシアのバンドでどんなんがお勧め?」と尋ねたところ、「アウクツィオーン аукцЫон(下)以外 、私は認めない」と言われたので、早速購入し拝聴。

まぁ悪くない。強いて言えば、デヴィット・ボウイとNo smoking orchestraのようなジプシーミュージックを足して2で割った感じかな。

80年代半ばからレニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)で活動を始め、現在まで活躍している。昨年はNYでジョン・メデスキーらと録音した「Девушки Поют 」をリリースし、幸運なことにここモスクワで先日(5/30)にライヴを行うとのことで、見に行ってきた。


このグループの中心メンバーはレオニード・フョードロフ(v,g,per:右)とオレーク・ガルーシャ(v,per:左)。フョードロフはソロ活動も行っており、ロシアではかなり実力のある歌手として知られているようだ。

もう彼らは40代後半なんで、1曲目が終わるとかなりグッタリ。とはいえ、ハイテンションのまま二時間が終了。最前列で見ていた私もなぜかハイテンションになりグッタリ。

MCが途中で入るんだが、曲の勢いそのままでガルーシャが詩を朗読。プーシキン、マヤコフスキイとまぁロシアでは有名な詩人(ロシア人は小学校で暗記させられる)をチョイスしてくるところが、さすがエンターテイナーといったところか。

ちなみに下はフョードロフとガルーシャが曲の間奏の際に詩を朗読する場面。
40代はどの国でも元気がありますな!見習わないと。

5/26/2008

息抜きⅡ

最近、またもやブログの行進を怠っている。

誰が読んでいるのか、皆目見当がつかないが、とりあえず書く。
書いて反応を待つ。

最近の怠っている理由は、論文執筆(外国語)に苦戦しており、夜半の自由時間が睡眠に持っていかれること。ろくな仕事もしていないのに、疲労困憊。体力の有難さを実感しています。

というわけで、最近は部屋にいると論文のことばかりに捕らわれてしまうので、読書をする際に利用するのが”cafe bilingua”というバー兼カフェ(下)。寮の近くの駅から4駅くらいなので、それほど疲れていなければ気晴らしによく行きます。


レストラン、バー、カフェが併設されており、カフェは注文しなければ基本タダ。写真でもわかるように本棚に囲まれており、そこから本を自由に取って読める。気に入ったら買うこともできます。夜はうっさい学生やナンパ目的のヨーロッパ人が集うんだが、21時くらいまでは平静で本を読むにはもってこいの場所。常連になってしまった私は近くのスーパーでジュースと菓子を買って4-5時間ぐらい居座っています。

でこのカフェにある本棚から発見したモスクワ建築関係の本でコルビュジェ的、というかモダニズム建築物を発見(下二つ)。

70年代後期のブレジネフ時代に建てられた住居で、建築家一族のメールソン二代目によるもの。日本ではこの時代「停滞」という言葉でソ連政治の凋落期なんて言われるけど、建築に関しておそらくこの言葉は当てはまらない。他にもこの本から面白い建築物を発見したので、次回報告。


とこのカフェで息抜きしながら論文頑張ってます。






5/20/2008

生きるとは、かくも厳しけり・・・

最近、寮の皆から「忙しいのか?」と言われる。

五分ほどじっくり考えてみた。
厳密には「忙しい」のではなく、やりたいことに手を付けすぎているから時間が足りなくなる。傍から見ると「忙しい」ことになる。

こちらに来て着手している建築史(西欧建築史とロシア・ソ連建築)の研究と海外雑誌に投稿を考えている論文執筆、コンテンポラリー・アート(モスクワね)の状況観察、生活のためのロシア語(これは「やりたいこと」に属さない)、無理言って書かせてもらっている原稿等。

よって食事と風呂(シャワー)を取るのが面倒になる。
さすがに風呂は二日に一回入らないとマズイ(匂う)ので、朝方入っているのだが食事は昼のみ。
という生活を約三ヶ月(論文に取り掛かり始めてから)続けていたら、びっくりするほど痩せた。

「働けど、働けどわが暮らし、楽にならざり、ぢっと手を見る」
啄木の唄ではないが、労働(研究等)によって得られる対価が何もないと虚無感に苛まれる。

早く論文書き終わりたい・・・

5/02/2008

「万国の労働者、団結せよ-Soezini vsech rabotshich iz raznich stran」















5/1について。


日本では、労働者の決起集会の日で、日比谷公園とかで労働組合の人たちがデモンストレーションをするという光景を目にする。


まぁ休日ではないし、会社で働いていた時も程遠い風景だったのであまりピンと来なかった。


しかし、ここモスクワでは休日となり、2日も休みで有難いGWが到来するのである。


しかもかつては建前上「労働者」が主役だったので、休日は当然ということになる。




もはや社会主義が崩壊したとは言え、デモンストレーションに参加する人は「労働組合」だけではなく、まぁ様々といったところ。そんなに気張って、権利を主張するというより、半ばお祭りです。


寮に住む友人の誘いで私も「デモ」に生まれて初めて参加してきました。



若人は友人に会いに来る目的で、ご老人は過去の記憶を回想しその記憶を伝達するために、その間の世代は政治的主張のためにデモをするといった印象を受けた。



本腰ではないのだろうけど、若者がヘソ出し(モスクワは日中もう19℃近くまで上昇)で携帯片手にプラカードを持って行進する姿に奇異を覚えながらも、すこし「ソヴィエト時代」を体感した。




かつて「啓蒙の弁証法」でホルクハイマーとアドルノは、「大衆社会において、全体主義は自己の喪失による「マゾヒズム的快楽」によって維持され、被統治者もそれを感受する」とか言って大衆社会を非難していた。このデモンストレーションに参加して、彼らの言うことを妙に納得。確かに何かのマッスと一体になると、単純に楽しいと感じるし、実際このデモに参加してそれなりに楽しかった。



この考えに対置されるのが、ヴァルター・ベンヤミン。確かジークフリート・クラカウアーが「小さいものの中にベンヤミンの哲学がある」と定義していた。つまりベンヤミンは大衆側にたって「下らない」とか「些細な」ことの中に、自己を投影する世界が果てしなく広がっていると主張しているということだ。



20代後半になると、理想であるとか高邁な精神がことごとく打ちひしがれていくので、変に凝り固まらずかく過ごしたいものである。


デモに参加してそう思った。

4/30/2008

I want to conquer the world



別にそんな野望があるわけではない。


自由な空間が手に入ったのでそんなタイトルにしてみました。




久しぶりに書き込むのに、非常に私的なことから。




2月中旬から同居していたフランス人が、一時帰国していたんだけど、こちらに戻ってくるビザが下りなくなって6月まで今の部屋が意のままに使えることになりました。




いやー申し訳ないけど、これで好き勝手に部屋でできるわ~。


彼と同じ大学から来ているフランス人にこの事実を告げられて、開口一番「自分の城が落成したぜ」なんて言ってしまいました。大人気ない。ちなみに下の写真は我が城です。


まぁ広々と使えるのも嬉しいんだが、雑音に邪魔されることなく論文執筆に打ち込めるというのが何にも変えがたい喜び。同居人(フランス人)はPCを激しく叩く奴だったので、読書やロシア語の勉強の時に気が散ってたんすよ(どこの会社でも、こういう奴はいると思う)。




加えて英語もダメ、ロシア語もダメとコミュニケーションを取るのが難しかったので、そういった点でも助かった。ダメだしばかりして、すまんウルレキ君(同居人の名前)!


とりあえず、画像が少ないと面白くないので、先日見に行ったモスクワ国際写真ヴィエンナーレで気になった作家の写真を貼っておきます(シリオ・トマゾーニ、シリーズ《撮影された写真》1979)→。

4/06/2008

たまには生き抜きも必要

博士課程の先輩からこのようなアドヴァイスを頂いた。



繰り返しになるが、肩こりが酷く、論文への集中力が切れてきたので、気分転換としてTABにコンタクトを図ってきたロシア人(モスクワ在住)と昨日(土曜日)会うことに。



後から気づいたのだが、メールだけのやりとりでまぁよく相手を信用できるなと。つまり、外国にいるのに日本と同じ感覚で人に会うってのは危険。こちらで同じ学校に通う外大の後輩にそう諭されました。お恥ずかしい。メールにこちらの携帯番号書いたら、その後二時間経って直接架電。意外とロシア人は行動が早い。


彼の名はアレクサンダー・ナザレンコ(上図)。24歳でデザイナー。ハバロフスクという中国東北部近くの都市出身で、昨年仕事のため上京。仕事はロシアのアパレルメーカー専属デザインで、ファッションショーや各ショップのウインドーデザインを制作しているらしい。


ロシア人では普通なんですが、もうこの歳で結婚していて、奥さんもアーティスト(羨ましい)。よって三人でモスクワをブラブラしてきました。





最初はルビャンカという中心地にある文学カフェ「ピラギー(パンとかピロシキといった食べ物を指す)」(右図)というところに行き、挨拶代わりにスピリットを飲まされる。昼食を抜いていたため、ヘッドバンキング並みに脳を揺さぶられ、既に出来上がる。



彼らは日本のアニメが好きみたいで、持参したPDAでなぜか「となりのトトロ」や「風の谷のナウシカ」のサウンドトラックを拝聴。しかしながら、彼らは共に建築系の大学出身のため、研究のことを話すと色々と話が弾んだ。


アニメ曲をバックにスターリン建築や日本のモダン建築(特に安藤忠雄が好きと言っていた)、果てはスターリン建築における当時のソ連人の深層心理まで話を聞けることになった。実に有難い「シュルプリーズ(予期しない出来事)」でした。

3/26/2008

春はあけぼの、陽は高らかに



モスクワにもやっと春の息吹を感じるようになってきた。

それと共に常々感じるのは、時間が経過するのはなんと早いことか!ということである。

振り返ってみると、モスクワに来て研究テーマを急遽変更したり、それに応じて新しい知識をためたりと、日本と何ら変わることなく過ごしてしまったという悔恨がややちらつく。他の留学生のように外国人同士どこかへ出かけたり、熱く互いの夢をキッチンで語り合うということはせず、まぁ地味だったなと。


とはいえ、研究と共に実りが多かったのはアート関連。今週からモスクワでは「モスクワ国際写真ビエンナーレ」が開催されており、モスクワ中心部にある各ギャラリーで、これに関連した様々な展示が開催されている。大きな会場だけでなく、提携先のギャラリー(だいたい20くらいだったとおもう)でも開催され、3月下旬から5月中ごろまで断続的に開かれている。


今まで見た中で、最もよかったのはジャーナリスト・センターで開催されている「心理学的プロジェクト―MIRROR」の展示とギャラリー「A-Z」で開催されている、ミーハーで申し訳ないが、ロトチェンコの娘(ヴァルヴァラ・ロトチェンコ)と孫(ニコライ・ラヴレンチェフ)が撮った作品の展示(もしかしたら逆かもしれない)。

前者は自己の鏡像をテーマにしているのだけれど、色彩の使い方、モノトーンの使い方が、多様な自己像のせめぎ合い、それによる緊張感を引き出しており絶妙(下図は上よりマウリツィオ・マルカト《鏡、水》(2007年)(左)とカーチャ・ゴリツィナ《鏡の舞台》(2007年)(右))。





















後者はロシア・アヴァンギャルドに活躍した人々の晩年が「記録」として残されている、一方でフォト・グラムを利用した「デザイン」によって今一度写真に活力を与えようとする努力が見られてよい(70年代の作品だが、当時は抽象写真は原則好まれなかったため、デザインという分野でこのような使い方がよく使われていた)(下図は上よりヴァルヴァラ・ロトチェンコ《パーヴェル・ジェレズノフ作『回想詩』より、ヴラジーミル・マヤコフスキイ》(1973年)、ニコライ・ラヴレンチェフ『未来派詩人、アレクセイ・クルチョーヌィフ』(1965年))。

とりあえず、今週と来週に続々とオープニングがあるので気分転換に足を運んで刺激を受けてこようかと思う。






















3/15/2008

体力の限界…

最近、寝入るのが早くて困っております。





こちらは、気候の変化がはげしく、昼間暖かいと思いきや、部屋から出ると急に雪が降ってたり、気温が高いと思ったら、風邪が強くて体感温度が低かったりと。慣れませんな。





この気候の変化によって、やたらと疲れるのです。齢二十八が原因と思いたくないのですが、徹夜が出来ない。酒もきっかりモスクワでは断っているのに、毎日二日酔いにかかったように頭痛がするのです。





とは言え、ロシア語の授業の課題(週一回のくせに)がほとんど暗記ものなので、もう少し夜遅くまで起きて暗記に励まないといけません。





さて、今回も研究関係のはなし。





毎週金曜にメディア芸術史という授業を取っていて、ベンヤミンやマクルーハンの理論を土台としてコンテンポラリーアートの作品を分析するという授業。なので、かなり早口で講義されても、何とかついていけています。しかし、ディスカッション中心の授業なので外国人の私としては、ロシア人のあの捲し立てる論理展開がつらい。しかも話すスピードが彼らよりも遅い。だから人の話を聞かず、連中は先に進みやがる。あぁ、悔しい。





日本語、英語、ドイツ語で何とか読みきったベンヤミンを再びロシア語訳で読む羽目に。それほど外国語は得意でないのに、死ぬほど外国語文献に浸かって、たまに日本人であることを忘れてしまいます。





加えて建築史の用語を母語より先にロシア語で覚えてしまったため、日本語で読み直すときに苦労しそうだ。





ちなみに今読んでる建築史の本は以下の通り。


1、H.ベルフリンの影響を受けてフォルマリズムと断罪され長く牢獄生活を送った建築史家I.A.ネクラーソフ『建築理論』


2、30年代ソヴィエト建築に古典建築の要素を導入し「赤いドリス」の理論的基礎の確立に寄与したN.ブルーノフ『建築史に関する記述 一巻、二巻』(右下図)


3、同じく30-40年代活躍し、美学の観点から古典建築を捉え、ソ連に古典建築を確立させることで、ソ連建築から新たな歴史の古典を伝承させようとしたI.マッツア『創作方法と芸術的遺産について』





一番を除いて完全にアジテーション書物と言えるかも(笑)。とはいえ、そうした「時代精神」の尺度を勘案しないとこの時代に生きた人々や文化が全否定されてしまう。これは何も、特殊と思われがちなソヴィエト研究だけでなく、当時の日本の文化全般を扱う上で、どういうスタンスを取るかは重要な点であろう。残念ながら、日本ではこの時代はナショナリズムと結び付けられて語られることが多いので否定的に扱われている(ロシア人の教授に何度も指摘された)。文化現象としてこの時代を紐解く観点が、今後求められるべきなのだが・・・
ただ、そうした文脈が建築批評に対してどう影響を及ぼすかという点を研究し、「古典建築」がどのように受容され、よりダイナミズムに「クラシック」が構築されていたのではないかという点を知りたい。そのため、これからの長い研究道の第一歩になるのでいいのです。

ますます、読書への体力が求められる。

3/07/2008

久しぶりです

実に久しぶりのアップ。
というか、住んでいる寮のネット環境が電話回線接続のため悪く、画像配信もままならないので決められた要件でしかネットを使えないという実に厳しい環境。と理由付け。

ブログをアップしない一ヶ月の間、様々なことがあった。

まずは自分の身の回りのこと。

外国人学校の授業をほとんど出なくなり、正規の大学の教授に論文指導を受けることに。
前々から、正規の授業で建築史を専門的に学びたいと主張していたら、「じゃああたしが論文指導するから」ということで毎週おしゃべりついでに、建築史に関する質問、自分の論点の確認、方向性のチェックと胃が痛くなる毎日。たかだか一時間から二時間ロシア語で話すのだけれど、部屋に戻ると体力がなくなり、すぐ寝るという日々っす。

結局話しを重ねていくうちに、ソ連建築史を基盤として1930年代の建築批評や建築作品を分析した博士論文を書くということに。「空間造形史」というジャンルを構築するために、美術史と建築史を重ねたものとなると、展覧会デザインやペーパーアーチテクチャーに焦点を充てて、テーマを絞りつつあります。

よってまだロシア語には慣れていない。というか、本ばかりを読んでいるので、ロシア語会話力ははっきり言って上達していませんな。

基礎文献はH.ヴェルフリン『美術史の基本概念』、O.ショワジー『建築史』、M.ウィトルーウィウスの『建築十書』(すべてロシア語翻訳)。あと5ヶ月で読み終わるのかどうか心配だが、とりあえず要読破。上記の教授から建築作品分析の課題を出されたので、それもこなしております。

あとはやっと新しい同居人(フランス人)が来た。残念ながら、ロシア語は全く話せず、たどたどしい英語でやりとり。しかしながら、彼の英語はフランス語訛りが酷く、全く聞き取れない。とはいえ、基本的に悪い人ではなさそうだから、上手く付き合っています。部屋に入ってくるなり「サリュー(やぁ)」はないだろう。

今度は一週間に一遍ペースで書かないと。

2/06/2008

パーティーに招かれて…

あーまた筆不精が祟って三週間ぶりのアップ。

あまりに反応が無いので、今回は身の回りのことを。

先週の土曜日、こちらで仲良くなったロシア人の家に招かれました。
彼らとは、私の同居人のイタリア人(もう帰った)を通じて知り合い、新年を共に過ごした仲。二人ともモスクワの音楽院出身で男性(ジェーニャ-眼鏡をかけています)はすでに就職しており、女性(ナターシャ-真ん中の黒いタンクトップ着用)は大学院で映画音楽の研究をしております。




二人とも普段は物静かですが、まぁよく食べ、そして飲む!新年のときもそうでしたが、「もういい」というほど料理と酒を振舞ってくれて、翌日胃がもたれました。
で、招かれた友人は同じ寮に住むアニエス(タンクトップ着用)というカナダ人の女性とフェデリカ(オレンジのジャンパー着用)というイタリア人女性。アニエスはモスクワでフランス語を教えており、フェデリカは私と同じく博士課程に在籍、論文資料収集のため短期でこちらに来ています。彼女らもロシア語で今後仕事をしようと考えている(自分はあまり考えていない、というか望み薄)ので、同じような悩みを持ち、互いに研究成果の報告といったような研究留学でありがちな場面にやっと出会えました。どうでもいいけど、俺って顔エロいですな。この写真だとラテン系です。

今月末に今回のホストを寮に招くことになり、「日本料理が食べたい」といわれたので、日本食の研究ですわな(和食を作ったことが全くないから)。

最後に嬉しい知らせが二つ。

まず拙文ではありますが、「10+1」で「世界建築レポート[7]The Old and New: Mosaic City, Moscow──モザイクとして彩られた都市モスクワ」なる記事を寄稿しましたので拝見いただければ。

それと、日本にいる時から関わっているMOTが、ついに定期的にイベントを開催できるようになりました。
モスクワで資料集めて、投稿論文書いてないではやく日本に戻って、俺も動きまわりたい!

詳細は以下の通り。
=====================
○CAMP
日程
2008年02月28日(木)~03月08日(土)10日間    
2008年03月27日(木)~04月05日(土)10日間   
2008年04月24日(木)~05月03日(土)10日間   
以降、現在未定(できれば、1年くらい継続的に開催したいと考えています)時間|12:00~23:00
場所|
Otto Mainzheim Gallery(東京都中央区八丁堀3-11-9-B1)八丁堀:徒歩約3分、宝町:徒歩約4分、京橋:徒歩約5分、新富町:徒歩約10分、茅場町:徒歩約15分
主催|
MUSEUM OF TARVEL
<プレトーク> テーマ:もっと無茶してみませんか?(仮) ゲスト:Survivart(岩井優、長内綾子)ほか 定員:30人(予約制) 参加費:無料<オープン・バー> 予約:不要 参加費:無料<トーク01> テーマ:未定 ゲスト:未定 定員:30人(予約制) 参加費:1,000円(1ドリンク付)<トーク02> テーマ:未定 ゲスト:未定 定員:30人(予約制) 参加費:1,000円(1ドリンク付)

1/17/2008

研究という「アヘン」の効用について 2







一昨日は研究機関での発表が急遽延期になったため、日曜大工用品を買いに市場へ。






寮の部屋に本棚がないため、DIYで造ろうということに。モスクワ郊外にもIKEAがあってそこで本棚を購入すればよいのだが、いかんせん荷物になるし、寮から1時間半かかるのでその手間を惜しんで本日造ってみました。






快適な生活空間構築にはやたらと金がかかる。今住んでいる部屋は二人部屋なのでいつか同居人が来ることになり、今までのように研究者(11月、12月)もしくは講師(10月)にならない可能性が高いので、一部屋を区切れるよう模様替え。中央に電話線で仕切りを作りシャワーカーテンを垂らしパーソナルスペースの確保完了。本棚製作費と中央仕切りスペース製作費しめて500ルーブル(約2,500円)。まぁ日本では安いほうか。






単に市場に行くのもなんだったので、1930年代のパトスが建築物として今も残るVDNCh(Vystavka Dostijenii Narodnovo Chagjaistva - (全ソ連)国民経済成果展示会場)へ。この展示会場は1937年の全ソ連農業経済展覧会会場のため建設され、その後毎年開催される経済成果を発表(誇示)するための展示会場としてソ連時代に利用されていたという経緯。当初は目抜き通りにメルクーロフ作のスターリン像があったのだが、さすがにもう存在せず、周りが新興住宅地となっている今ではやや浮いた場所となっている。






もちろん、展示会自体は既にないのですが、地下鉄の駅名となって今でも残っており、当時のパヴィリオン会場や会場の門がまだ残っており、強いて言うなら筑波万博(今、会場やそのときの名残はもうないのかな?)の会場のよう。次の論文の画像資料となるのでここぞとばかりに写真を取りまくりました(写真は入り口の門(左上)とその頂点のアップ(右)、展示会場入り口の柱頭(下左)、最後のは噴水のレリーフ(下右)-どうでしょう?すごくないっすか?)。












それにしても、ソ連時代に造られたとはいえ、建造物のレベル(質)が高い。美術史の授業でパリの凱旋門広場を見たことがあるけれど、それと違わぬモニュメント建造物の雄々しさと通りや街路の見事なシンメトリー。装飾のモチーフが古代の神々や英雄像から労働者、農民に変わっただけで、まさしくソ連式擬古典様式建築の典型。

30年代を代表するコルビュジェやギーディオン(ジークフリート)、エステーレンといったCIAMの建築家らがこうしたソ連の建築様式の動向に愕然とし、幻滅していったわけだけど、そのおかげでアートや現代建築の文脈にのることも無く、モニュメントもしくは当時の「記念碑」として今も残っているわけだ。

で建築物(パヴィリオン)に入ってみると当時の物が保存されているのではなく、市場になっているというギャップ。日本では、まずありえないであろう光景。パリの凱旋門のモニュメント建築物の中で野菜が売ってたり、CDショップが入っているなんてことないですよね?

ロシアの文化というか彼らの建築物ないしは遺産に対する態度を垣間見た気がした。

1/15/2008

研究という「アヘン」の効用について

年初は昨年を悔い改めて、悪い癖を治そうとするが、一週間経つと昨年のままというのが人間の悲しい性。日課として始めたブログも一週間果ては二週間に一遍ペースに落ち込んでおります。
年末、年始はいかがお過ごしでしたか?
私は例の原稿と風邪とある研究機関でのプレゼンで脳味噌ばかりか、眼前の風景(熱によるめまいと実際の天候)すらも渦巻いておりました。

プレゼンを翌日に控え、やっと一息といったところです。
私の住んでいる寮は、この時期になると留学生の帰国ラッシュでガランとしてしまい少々寂しくなります。一方で静寂が訪れるため、多少集中して本が読めるという建前としてはありがたい環境となりました。そのおかげで何とか10月に購入した、ソ連建築史に関する本二冊を読破し、次なる論文の構成をこねくり回す日々。

充実というか、読書が進むにつれ余計に問題意識が深まりのめりこんでしまうので、一種アヘンをやっているようなものです。

そのアヘンが効いているのかどうかわかりませんが、地下鉄を利用するとどうしても駅のレリーフや細部の装飾をまじまじと眺めてしまいます。というのも、モスクワの地下鉄駅は西欧建築史でも特殊な位置を占めるように、一種のプロパガンダ建築として国家の総意を挙げて作成されたものなので、ソ連建築史で有名な建築家、彫刻家、画家が壁画レリーフ、彫刻、柱頭、入り口の制作に携わっているのです。だから、下手な美術館に行くより、それこそ「ぶらり途中下車」したほうがアート作品を鑑賞できるのです(写真はキエフ駅(上)と寮の近くのノボスロボスク駅(下)の写真)。

古典建築様式やその装飾に労働者像やシンボルだった「鍬とハンマー」が随所で調和しているという奇妙を通り越した、「ソ連建築様式」としか呼びようのない空間が展開。古典様式と、当時最新であるはずの「社会主義思想」。これほどまでに矛盾したものが、庶民の日常である地下鉄で否応なしに存在する光景って、ある意味コンテンポラリーアートより深いものを備えているのかもしれません。

まぁ、でも地元の連中はそんなことなどあまり意識しないみたいですが。こうしたものの見方も、結局外から来た人間であるからであって、アートが日常に融解しているということになるんでしょうか。

「建築を学ぶものはブラジリア(都市全体がモダニズム建築家オスカー・ニーマイヤーの作品となっているため)には一度訪れたほうがよい」というらしいですが、「モスクワの地下鉄駅も」と付け加えるべき。

先日、モスクワに仕事でいらっしゃっていた横浜国大のO先生と話をした時にモスクワ地下鉄駅について延々と語ってしまい、身の振りをわきまえず、アヘンの恐ろしさを改めて感じました。

これからそのアヘンによるトリップをある研究機関のプレゼンで合法的に発揮してまいります。

1/04/2008

年始の報告

ブログの更新を怠っていたので、年初でありながらも久しぶりにアップ。

実は先週、実家で緊急事態が発生したためオープンチケットを急遽変更して一時帰国。
僅か2日(12/21,22)の滞在で、全く落ち着く暇もなく怒涛のようにモスクワへ戻ってまいりました。

とはいえ、親族以外にもアート系の友人たちと顔を合わせた。そのいきさつは以下のとおり。

多摩川の河川敷そばにあるartriverbankというギャラリーで開催されていた〈ファイル展〉である友人と待ち合わせ、まぁ酒でもということになった。
ごく簡単にこの展示を紹介すると、本棚にA4クリアファイルが納められている。キュレーターが紹介したいアーティストの作品ないしは活動をその中にまとめて、訪問者はそのファイルを眺めアーティストの活動を知りとキュレーターの意図を探るというもの(間違ってませんよね?)。自薦でこの展示(プレゼンかな?)に参加できそうなので、興味のある人は来年参加されてみては(詳細は)。

行ってみると、tokyoartbeatの編集元締めの橋本氏、「relational aesthetics」の翻訳兼勉強会の首座である吉崎さんがキュレーターとしてファイルを展示しており、本人も駐在して久々に話が盛り上がった。吉崎さんが紹介していた中で、やはり知り合いの岩井優氏、新野圭二郎氏の作品があった。この二人も偶然駐在しており、相変わらず30代(失礼!)かと思うエネルギーで圧倒され、自分もこれくらいのパワーがあればと落ち込む。

キュレーター個々人の批評は置いとくとして、この企画自体が面白い。かつて横浜トリエンナーレ(2004年だったかな?)で頓挫した磯崎新の発想に似ているような気がした。委員が何人かのキュレーターを指定し、委員会が設定した作家でキュレーターが設定した建築家に展示空間を設計させるかのよう。つまりartriverbankはキュレーター選定段階である程度の方向性を設定してはいる。けれども(もしかしたらそんなことはないかもしれない)、その先に生み出されるキュレーターのプレゼンを非予定調和としてエキサイトな展示が、そうした過程において、生み出される可能性を秘めている。一方で各キュレーターのプレゼンによって企画者の意図を覆い隠されてしまう可能性もあるので、企画者と各キュレーターの意図がうねり、緊張感に満ちた展示というのが、おそらくこの企画の理想形態であろう。

この展示を見た後、岩井氏とくだんの友人(井上文雄氏)とartriverbank付近の飲み屋で再開を祝して杯。岩井氏が帰った後、上記勉強会で院政を振るっていただいている、辻憲行氏(元秋吉台国際芸術村チーフキュレーター)を無理やり呼び出して、餞の言葉をいただく。彼のいかつい顔を見て、モスクワでもブリオーの本を読まなければと胃が痛む。とりあえず、モスクワビエンナーレキュレーターをしていたので、このつながりでモスクワのアートシーンと絡めた読み直しをしてみようか。

このつながりで最後に締めくくると、2009年のモスクワビエンナーレのチーフキュレーターはジャン・ユベール・マルタンです。