8/31/2008

あーぁ。帰ってきちまったよ

これが本音。





やっと慣れてきて、博士論文提出先を海外の研究機関と考え、情報収集をしている矢先に帰国。


無念。





その研究機関は9月からスタートなので、直接担当者から話を聞くことはできなかった。


一応研究機関に所属する場合の条件(要はテスト科目と手続きに必要な書類の詳細)、所属した場合の住居斡旋(研究員のコネを頼って、どこかに居候)だけを手がかりにできたのは、まぁ善しとするか。





で、帰りのフライトが5時間近くも遅れ日本に帰ってからも豪雨の影響で、実家までの電車が遅延。到着したのは夜11時。





まぁ、そのおかげで、海外に研究資料収集に出かけていたお世話になった教授と電話で話ができた。というのも、7月から8/29までスウェーデンに行っており、私の帰国日に彼女もロシアへ帰国というわけ。



「この電話の会話が、直接あなたとお話ししたという最後にならないよう、死ぬ気で奨学金取って、また来ます」なんてことを延々15分くらい話した。「あー、こんなベラベラ口から出るようになるまで、一年もかかちまったよ」と日本で会話の授業を重視しなかったことを後悔。というか、授業出てなかった。





この教授は17-18Cのいわゆるバロックとロココ建築様式専門(ルネサンスの美術史も教えておられる)なんで、専門はまったく別。ただし建築作品分析のベースをあれやこれやと教えていただいた。結構、スタンスの違い(擬古典主義建築やイデオロギー建築を評価するかしないか)から揉めましたけど。



こんな外国人のへんちくりんな学生にご厚意あるご指導ありがとうございました(Blagodaryu Vas za doblolyubeznoe rukobvodtstvo i to, chto vy prepodovali metod po architekture takomu inostrannomu studentu, kak uvlekatelyu k vanal'nym architekturam)と、ロシア留学記を締めておく。

8/20/2008

営業活動

僕は働いてません。



ですので、このタイトル意味するのは、他の研究機関に自らの論文ないしは研究を紹介し様々な便宜をはかってもらうという、結構いやらしいことでございます。



次に執筆する論文のテーマと方向性が決まり、先行研究を探す日々。国立図書館で、読みたい先行研究の論文のさわりはレジュメで読めるんだけど、前文はその論文が提出された期間でしか読めないというややこしいシステム(日本でもそうか)。



探している論文が国立芸術研究所(右)というところでしか、読めないとわかり、所属大学で通行許可書類を作ってもらい一昨日から通い詰める。


でこの研究機関がすごい。最初、劇場かとおもうほど豪華な内装(右)。「じゃあ、これがその論文ですので横の部屋(写真)で作業してください」といって約4時間もこの空間を独り占め。一応、家に帰る際に司書の人にここの研究所は外国人を受け入れているか(つまり博士論文を提出できるか)を聞く。基本okらしく、指導教授さえこちらで決めて所定書類を提出すればいいみたい。学費はタダらしい。というわけで、「何年か後に来ますので、宜しく」と挨拶。せこい。

まだ全文を読みきれていないので今週の金曜まで通いつめっす。


8/19/2008

立て続け

今、このブログでいつだか紹介したcafe bilinguaで投稿論文のチェックしてるんですが、果てしない。

今日徹夜だ。というのも、明日、ロシア語を見てくれてる先生に表現の可否と正確な意図で文章が書かれているかチェックしてもらうからだ。


いかんせん、A4で40枚。註釈で4枚。

こちらの指導教授から枚数減らせと言われ、どこを削るかで煩悩中。

「あんた、これで他の建築作品比較付け足してphdの審査出しなさいよ」(指導教官=女性ね)と褒めてくれてるんだか、とっとと博士論文書けと発破かけられてるのかわからん言葉を頂戴した。


以下は全てロシア語から


タイトル-「独自性から久遠性の高みへ―建築プラン《ソヴィエト宮殿》におけるモニュメンタリティについて」

一章-コンクール-建築プラン《ソヴィエト宮殿》について

二章-コンクール二巡目以降の「古典建築」への急転

三章-建築プラン《ソヴィエト宮殿》におけるオーダー、柱式の復活と規模の問題

四章-建築史からの逃避-「新しさ」の不必要性。建築プラン《ソヴィエト宮殿》における「古典主義」構築への志向


これ、どう?


8/18/2008

近況






平日―建築アーカイヴと建築図書館、歴史図書館の往復。



週末―仕事帰りの友人と川辺で飲むか(下図)建築物を撮影。

貼り付けた写真は雀丘(vorovievy gory)に佇む著者(大分ふけた)と呑みすぎた友人を快方する友人。






8/15/2008

海外支部設立

会社ではない。


このブログに久々に投稿するかと思いきや、この知らせ。

やっと論文も一息ついて、帰国間近だというのに、次なる論文の資料集めにてんてこ舞い。

その折に、こちらで仲良くなったロシア人デザイナーの友人(週末は彼の家に招待され、夕食等ご馳走になっている)とデザイングループを創ってしまった。モスクワー東京が一応謳い文句。


名前はflying-artgroup。その昔、深夜番組で「とぶクスリ」なんてのがあったが、それに劣らぬエキサイティングな団体になれば。



ちなみに彼はモスクワのアパレル会社の広告デザインを手がけており、かなり忙しい。とはいえ、私のようにあれやこれやと手をつけており、大学時代の友人ともインテリア会社を立ち上げている。


今後彼は中国でデザインの教鞭(2-3の大学から依頼されているみたい)を振りあちらで生活基盤をたてるとのこと(奥さんと)。だから、このグループはモスクワー北京ー東京間のグローバル(メインストリームじゃないから「反グローバル」かも)団体として今後が期待できるかもしれない。