5/20/2009

夏のせいかしら

1974年、作詞:安井かずみ 作曲:馬飼野康ニ、唄:夏木マリ

本日、とある試験を受けてきたんですが、
全く見込み違いの対策をしていたので、うまく対処できず
納得できない答案に。

夏のせいかしら?
と言い訳。



しかし、夏木マリすごいな~。
この頃から、妖艶という表現しか当てはまらないような雰囲気を確立している。
失礼な表現になってしまうが、今は「老いてなお盛ん」という感じでアグレッシヴさを失わず、
瑞々しささえ感じられる。エロイしね(私の中で最高の褒め表現)。

実家にこのLPがあったんで、わが父もこんな女性が好きだったようだ。
血です。

バックの曲もいいっす。
最初の入りなんて、《Caravelle》(Jazzanovaの代表曲)の4分位に入る激しいドラムソロに通じるものが感じられます。



よくよく考えたら、夏木マリのこの曲のコンガと彼女の歌唱の相性のよさが、日本でも名だたるパーカッショニスト斉藤ノブとの結婚に繋がったのではと勝手に推測。

考えすぎか。

5/12/2009

サンフランシスコに行くなら…

頭に花輪を被ってくれよな。
そこで親切な人たちと会うだろうし。
という歌詞。

《San Fransisco(Be sure to wear some flowers in your hair)》 - 1967年、ジョン・フィリップス作詞、唄スコット・マッケンジー↓。



曲調と歌詞からどこか古きよき時代の西海岸を彷彿とさせるが、ヒッピー文化の片鱗でもある。
ここでいう「ヒッピー文化の片鱗」とは、「Love&Peace」じゃなくて、ドラックによるあのテンション。

この曲ががらりと変わった形でremixされたのが2005年。
Global Deejaysというグループの《The sound of SanFransisco》という曲。
PVがエロい↓。



エロいところに目を奪われつつも、
PVのカットに注目。
これはドラッグ中の人間による視線だと誰かが言っていた。

テクノとかダンスミュージックが好きでない人からは、
眉を顰められそうだ。
しかし、歌詞の本意って、
実はこのGlobal DeejaysのPVが体現しているのではないか。

ヒッピーという文化形態が当時の音楽技術や映像で補えなかったとすれば、
やっと最近(といっても、既に4年前)になって体現できたということか。

とりあえず、サンフランシスコにはヤク中のハイテンションで行け。
と勝手に解釈。

The Mamas & the Papas のファンの方々、すみません。

5/06/2009

マイクロメガス

1978年、ダニエル・リベスキント作(下)。




ポスト・モダンの旗手と呼ばれた頃の作品。
この頃の彼の作品はダイナミクスを感じさせるけれども、
「静謐な破天荒さ」とでもいうような、計算高い「やけっぱち」を感じる。


デ・スティルの頭目ドースブルフの《コンポジション》シリーズ(下)で見られる、
幾何学形態の浮遊感みたいだ(彼の『新造形主義に向かって』はここ)。



純化した形態はゼロとなり、やがてマッスとなり、建物となり、都市へと拡張していき、
マレーヴィチは共産主義の次に来る神の啓示たる高次元を目指す。


その啓示が有効性を失い、天から地上へ一気に降り注いだ。

地上の人間が認知できる形態となって。
と勝手にポストモダンの流れを物語化。


世界でも有名な、スイスのある建築大学の研究グループが、
リシツキイとリベスキントの比較研究をしていたので、
こんなことをGW中に考えていた。

いつかリシツキイの研究に戻ろう。