7/29/2009

都市計画で~夢の街。着々できるビルディング。

1982年、ゲルニカ『改造への躍進』より「復興ノ唄」(下)歌詞の一部。
かのピカソの作品と間違えぬよう。




バイトもなく、いそいそと論文執筆と査読通過した論文のチェックがてら、youtubeをうろうろしていたら、上記の曲に出会ってしまった。

細野晴臣がプロデュースしていたことは、ぼんやり知ってましたが、
戸川純がメインVOというのは初めて知りました。

音なんだけど、モロにコンピューターゲームの音(ファミコンの『ギャラガ』っぽい)。
当時の細野先生の意向が100%反映されている感じがします。
いやー、なんともレトロちっく。
音に耳を奪われるが、戸川の「レトロ風」な唄いっぷりも見事。

本来だったら、the SmithとかNew Orderの系譜に並べられる80年代ロック対抗馬の日本ロック金字塔の一人(褒めすぎか?)なのに。

サエキけんぞうがかつて結成していたハルメンズのカバー等に代表される楽曲が素晴らしい。
(ex:『昆虫軍』。ファッションがいかにも…)
どことなく、Guns N' Rosesの『The Spaghetti Incident?』を彷彿とさせます。


歌詞の途中で「走るアメ車に投げキッス」なんてあるんだけど、こんな絵画(下)が思い浮かんだ。



Yu.ピメノーフの《新モスクワ》(1937年、トレチャコフ美術館蔵)。
復興ではないけれど、タイトルにある「都市計画で夢の街」が1935年から始まって「着々と」ビルディングや道路、インフラを整えていった。その様子をピメノーフは「将来あるべき好ましい姿」で描いた。
つまり現実そのままを描いたわけではない。

ちなみにこの車の風景から、車が走っている場所は、
かつてKGBがあったルビャンカ広場を少し南西に下りたところとボリショイ劇場前を通っている幹線道路。
この道路はクレムリンの脇に流れて「イリイチ大通り」(当時)となって、
最終的には《ソヴィエト・パレス》(未着工)へと至る。
そう、運転している女性が向かうのは、前方にうっすらと見える白いビル、《勤労防衛会議ビル》(今は国会として利用されている)よりも高い《ソヴィエト・パレス》であり、その姿は道路の消失点の先にありまだ描かれないことによってまだ見ぬ期待の高鳴りが重ねあわされている。

確か、森美術館の館長を務めたD.エリオット氏も「淡い色彩によって詳細を描かないことが、情景をぼやかすだけでなく『夢見心地』をうまく表している」なんて言っていたような。あ
この絵画だったら「スローガンに彩られた旗がたなびく~」とかになるんだろう。

これがルビャンカ広場から北に(絵画では南西)行けば、『復興ノ唄』にある建物と似たビル(下:A.シチューセフ《農業人民委員ビル》(1928-32))に向かうんだけどなー

7/19/2009

急転直下

仕事クビ。

この前の火曜日に宣告され、その週の「金曜日にやめてくれないか?」と言われた。
うわっ。
これって流行りの「不当解雇」ってやつですな。

「ある助成金がおりたらやめます」と申していたので、まぁ時期が早まっただけ。
とはいえ、今月末まで働く意志を伝えていたので、腹立たしい。
いちいち怒り狂うのも、アホ臭いので、その日から仕事サボタージュ。

こっそり隠れて、Youtubeでヤクザ映画を見尽くす。
最終日には、同じ軒を連ねる別会社のオッサン達に餞としてご飯をご馳走してもらう。
まぁ捨てるナントカあれば拾うなんとかありですわ。

そのやめさせられた日に、例の最終面接の連絡を受ける。

7/07/2009

締め切り間近の悩み

いやー、実は今人生最大の岐路に立たされていて、
とある外務省の外郭団体から「在ウクライナ日本大使館」で契約社員で二年働かないかって今日声がかかった。

専門調査員ってやつです。

金(危険地手当て+給料)はべらぼうによいのだけれど、
研究からは全く遠ざかる(分野外の政治・経済情勢の専門調査員)。
つーか建築史なのに、なぜ?
該当研究者なんじゃないのか?

まぁ、拾って下さる人がいらっしゃるのだから、ありがたい事です。

ウクライナだと川喜田煉七郎(下)が入賞した《ウクライナ音楽劇場》コンペがハリコフで1930年に行われている。



仕事の合間にそういった資料を集められれば…
というような仕事ではないらしく、経験者談ではかなりハードとのこと。
休みの日は寝ていると。

例えば、自分に家族とか恋人とかいて今の状況だったら確実にこの話は受ける。
だがそういったものはないし。
一番のネックは今応募している奨学金と時期がバッティング(面接と試験日)なんで、きちんとその旨を伝えなければ。

金か研究かだね。
締め切りは10日まで。
ちょっと悩むかな。
というか12時間内にだ。