1/17/2008

研究という「アヘン」の効用について 2







一昨日は研究機関での発表が急遽延期になったため、日曜大工用品を買いに市場へ。






寮の部屋に本棚がないため、DIYで造ろうということに。モスクワ郊外にもIKEAがあってそこで本棚を購入すればよいのだが、いかんせん荷物になるし、寮から1時間半かかるのでその手間を惜しんで本日造ってみました。






快適な生活空間構築にはやたらと金がかかる。今住んでいる部屋は二人部屋なのでいつか同居人が来ることになり、今までのように研究者(11月、12月)もしくは講師(10月)にならない可能性が高いので、一部屋を区切れるよう模様替え。中央に電話線で仕切りを作りシャワーカーテンを垂らしパーソナルスペースの確保完了。本棚製作費と中央仕切りスペース製作費しめて500ルーブル(約2,500円)。まぁ日本では安いほうか。






単に市場に行くのもなんだったので、1930年代のパトスが建築物として今も残るVDNCh(Vystavka Dostijenii Narodnovo Chagjaistva - (全ソ連)国民経済成果展示会場)へ。この展示会場は1937年の全ソ連農業経済展覧会会場のため建設され、その後毎年開催される経済成果を発表(誇示)するための展示会場としてソ連時代に利用されていたという経緯。当初は目抜き通りにメルクーロフ作のスターリン像があったのだが、さすがにもう存在せず、周りが新興住宅地となっている今ではやや浮いた場所となっている。






もちろん、展示会自体は既にないのですが、地下鉄の駅名となって今でも残っており、当時のパヴィリオン会場や会場の門がまだ残っており、強いて言うなら筑波万博(今、会場やそのときの名残はもうないのかな?)の会場のよう。次の論文の画像資料となるのでここぞとばかりに写真を取りまくりました(写真は入り口の門(左上)とその頂点のアップ(右)、展示会場入り口の柱頭(下左)、最後のは噴水のレリーフ(下右)-どうでしょう?すごくないっすか?)。












それにしても、ソ連時代に造られたとはいえ、建造物のレベル(質)が高い。美術史の授業でパリの凱旋門広場を見たことがあるけれど、それと違わぬモニュメント建造物の雄々しさと通りや街路の見事なシンメトリー。装飾のモチーフが古代の神々や英雄像から労働者、農民に変わっただけで、まさしくソ連式擬古典様式建築の典型。

30年代を代表するコルビュジェやギーディオン(ジークフリート)、エステーレンといったCIAMの建築家らがこうしたソ連の建築様式の動向に愕然とし、幻滅していったわけだけど、そのおかげでアートや現代建築の文脈にのることも無く、モニュメントもしくは当時の「記念碑」として今も残っているわけだ。

で建築物(パヴィリオン)に入ってみると当時の物が保存されているのではなく、市場になっているというギャップ。日本では、まずありえないであろう光景。パリの凱旋門のモニュメント建築物の中で野菜が売ってたり、CDショップが入っているなんてことないですよね?

ロシアの文化というか彼らの建築物ないしは遺産に対する態度を垣間見た気がした。

1/15/2008

研究という「アヘン」の効用について

年初は昨年を悔い改めて、悪い癖を治そうとするが、一週間経つと昨年のままというのが人間の悲しい性。日課として始めたブログも一週間果ては二週間に一遍ペースに落ち込んでおります。
年末、年始はいかがお過ごしでしたか?
私は例の原稿と風邪とある研究機関でのプレゼンで脳味噌ばかりか、眼前の風景(熱によるめまいと実際の天候)すらも渦巻いておりました。

プレゼンを翌日に控え、やっと一息といったところです。
私の住んでいる寮は、この時期になると留学生の帰国ラッシュでガランとしてしまい少々寂しくなります。一方で静寂が訪れるため、多少集中して本が読めるという建前としてはありがたい環境となりました。そのおかげで何とか10月に購入した、ソ連建築史に関する本二冊を読破し、次なる論文の構成をこねくり回す日々。

充実というか、読書が進むにつれ余計に問題意識が深まりのめりこんでしまうので、一種アヘンをやっているようなものです。

そのアヘンが効いているのかどうかわかりませんが、地下鉄を利用するとどうしても駅のレリーフや細部の装飾をまじまじと眺めてしまいます。というのも、モスクワの地下鉄駅は西欧建築史でも特殊な位置を占めるように、一種のプロパガンダ建築として国家の総意を挙げて作成されたものなので、ソ連建築史で有名な建築家、彫刻家、画家が壁画レリーフ、彫刻、柱頭、入り口の制作に携わっているのです。だから、下手な美術館に行くより、それこそ「ぶらり途中下車」したほうがアート作品を鑑賞できるのです(写真はキエフ駅(上)と寮の近くのノボスロボスク駅(下)の写真)。

古典建築様式やその装飾に労働者像やシンボルだった「鍬とハンマー」が随所で調和しているという奇妙を通り越した、「ソ連建築様式」としか呼びようのない空間が展開。古典様式と、当時最新であるはずの「社会主義思想」。これほどまでに矛盾したものが、庶民の日常である地下鉄で否応なしに存在する光景って、ある意味コンテンポラリーアートより深いものを備えているのかもしれません。

まぁ、でも地元の連中はそんなことなどあまり意識しないみたいですが。こうしたものの見方も、結局外から来た人間であるからであって、アートが日常に融解しているということになるんでしょうか。

「建築を学ぶものはブラジリア(都市全体がモダニズム建築家オスカー・ニーマイヤーの作品となっているため)には一度訪れたほうがよい」というらしいですが、「モスクワの地下鉄駅も」と付け加えるべき。

先日、モスクワに仕事でいらっしゃっていた横浜国大のO先生と話をした時にモスクワ地下鉄駅について延々と語ってしまい、身の振りをわきまえず、アヘンの恐ろしさを改めて感じました。

これからそのアヘンによるトリップをある研究機関のプレゼンで合法的に発揮してまいります。

1/04/2008

年始の報告

ブログの更新を怠っていたので、年初でありながらも久しぶりにアップ。

実は先週、実家で緊急事態が発生したためオープンチケットを急遽変更して一時帰国。
僅か2日(12/21,22)の滞在で、全く落ち着く暇もなく怒涛のようにモスクワへ戻ってまいりました。

とはいえ、親族以外にもアート系の友人たちと顔を合わせた。そのいきさつは以下のとおり。

多摩川の河川敷そばにあるartriverbankというギャラリーで開催されていた〈ファイル展〉である友人と待ち合わせ、まぁ酒でもということになった。
ごく簡単にこの展示を紹介すると、本棚にA4クリアファイルが納められている。キュレーターが紹介したいアーティストの作品ないしは活動をその中にまとめて、訪問者はそのファイルを眺めアーティストの活動を知りとキュレーターの意図を探るというもの(間違ってませんよね?)。自薦でこの展示(プレゼンかな?)に参加できそうなので、興味のある人は来年参加されてみては(詳細は)。

行ってみると、tokyoartbeatの編集元締めの橋本氏、「relational aesthetics」の翻訳兼勉強会の首座である吉崎さんがキュレーターとしてファイルを展示しており、本人も駐在して久々に話が盛り上がった。吉崎さんが紹介していた中で、やはり知り合いの岩井優氏、新野圭二郎氏の作品があった。この二人も偶然駐在しており、相変わらず30代(失礼!)かと思うエネルギーで圧倒され、自分もこれくらいのパワーがあればと落ち込む。

キュレーター個々人の批評は置いとくとして、この企画自体が面白い。かつて横浜トリエンナーレ(2004年だったかな?)で頓挫した磯崎新の発想に似ているような気がした。委員が何人かのキュレーターを指定し、委員会が設定した作家でキュレーターが設定した建築家に展示空間を設計させるかのよう。つまりartriverbankはキュレーター選定段階である程度の方向性を設定してはいる。けれども(もしかしたらそんなことはないかもしれない)、その先に生み出されるキュレーターのプレゼンを非予定調和としてエキサイトな展示が、そうした過程において、生み出される可能性を秘めている。一方で各キュレーターのプレゼンによって企画者の意図を覆い隠されてしまう可能性もあるので、企画者と各キュレーターの意図がうねり、緊張感に満ちた展示というのが、おそらくこの企画の理想形態であろう。

この展示を見た後、岩井氏とくだんの友人(井上文雄氏)とartriverbank付近の飲み屋で再開を祝して杯。岩井氏が帰った後、上記勉強会で院政を振るっていただいている、辻憲行氏(元秋吉台国際芸術村チーフキュレーター)を無理やり呼び出して、餞の言葉をいただく。彼のいかつい顔を見て、モスクワでもブリオーの本を読まなければと胃が痛む。とりあえず、モスクワビエンナーレキュレーターをしていたので、このつながりでモスクワのアートシーンと絡めた読み直しをしてみようか。

このつながりで最後に締めくくると、2009年のモスクワビエンナーレのチーフキュレーターはジャン・ユベール・マルタンです。