3/01/2009

新たなる出立

昨日、所属する大学の教授の最終講義を聴きに、学校へ久々に行く。

きれいな建物で冷暖房完備なんだけど、非常に寒い。
原因はガラスの壁と屋根。


開放感があっていいとは思うが、大学が閑静な住宅街にあり山が一望できる場所にあるのでやはり環境とあっていない。


ピーター・アイゼンマンの《布谷東京ビル》(下)みたいに周囲から浮いてる感じだ。欝の学生が増えます。


まぁ、そんな雑談はいいとして、W先生の最終講義は超満員(下)。




彼の人柄がそうさせたのでしょう。非常に幅広い年齢層の人が訪れていました。


知的好奇心を常に持ちながらも、良き師として学生の指導にあたっていたということが、講義の節々にでる学生への問いかけであったり、思い出話に滲み出ておりました。


その中で、彼の専門の「ユーラシア主義」という思想哲学から紡ぎだされた「全体と個」という概念。もちろん、ライプニッツの『モナド論』への懐疑から出発しているから哲学やそれと絡んだ文学に通用するのだろうけれど、18c-19cの建築(モスクワ・バロック、庭園様式)の建築物と建築アンサンブル空間にも絡むのかと悩む。


ここでいう「個」(個々の建築物)は人の時間単位でカウントするのではなく、様式生成というちょっと長い時間単位で計測する。そうすると、以前あった建物の影響から新しい建築物はそれと波長を合わせたかたちで形成され、全体が整ったようなアンサンブルを生み出すというのが18c-19cの建築におけるアンサンブル。


でも、その建築様式と近い1930年代のソ連建築には更に別の「全体と個」が纏われる。「権力と建築家」、「都市計画と建築物」。なんか、K学長が提唱するこの時代の「熱狂空間」創出へと論が向かいそう。とは言え、この点を勉強しようと思い立ち、あるプランを思いつく。

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