6/19/2008

『あらゆる場所に花束が…』

っていうタイトルの文学作品があった気がする。

確か、中原昌也(暴力温泉芸者)がこのタイトルで文学賞を取っていたような…
それで思い出したのが、彼のノイズミュージック。

モスクワの音楽シーンでノイズミュージックに人気が集まってきている。

先日、見に行ったアウクツィオーンも厳密なカテゴリーではこの分野に属さない。だが、まぁやかましさという点でも組み入れられるだろうし、生演奏だけど音の構成が非常に緻密かつ意図的に騒音というか音量をうるさくしているという点でも広義でこれに属する。
そんなこともあって意外とモスクワ連中にノイズミュージックの受けがいい。

で、話が飛ぶんだが、昨日カールステン・ニコライ(ドイツ:左の兄ちゃん)の単独講義(講演)がモスクワで開催された。

YCAM(山口情報芸術センター)で作品展示があったと、とある人から聞いていたので、てっきりコンテンポラリー・アーティストだと勘違いしていた。だから講義が始まるまで、人だかりに驚く。

コンテンポラリーアートも人気あるんだなーと思っていたが、講義を聴き(英→露)作品を拝見して、「ノイズ系ね」と人の集まりを妙に納得。

厳密には「インスタレーションを中心とした音を用いた作品を多く手がける」んだけど、CDとか確か坂本龍一とコラボもしていたりする。
ノイズミュージックには、私はもちろん精通しておりません。
だが、この講義で提示していた彼の作品はテレビの走査線を解析して映像とその映像から紡ぎ出される騒音から成る。だからといってうるさいと感じるよりは、緻密さを感じる。こういってよければ心地好い。
で話は戻って、中原昌也。
彼の本を読んだんだけど、文学批評のできない私としては、何とも難しい。読売新聞の対談で蓮実重彦(映画・文芸批評家)が「あなたはカフカだ!」って絶賛していたけど、なんというか非常に刹那的。いい意味でも悪い意味でも先が読めない。これって彼の音楽(Hair stylistics)にも通底する要素で、やっぱそこはノイズ・ミュージックだからなのか?いやぁ、研究の余地ありですな。音楽評論家ないし表象文化専攻の皆さん。
そういう線上に「楽しさ」を求める自分は、破壊的衝動があるのかも…
最近、論文で文章構成のことばかり考えて一日を過ごすからなのか?

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