9/16/2007

あまりに学長的な。

またもやタイトルに内容の示唆を込めてみた。


ドストエフスキイの新訳(『カラマーゾフの兄弟』)で破格の注目を集めている(と思う)亀山郁夫氏が、私の師(指導教官)です。一応美術史とは言え、地域研究科に所属することもあって一国の文化として括られ、彼の指導を給わっている次第であります。

だから、文化史をベースに修士と博士課程で研究に勤しんでいたこともあり、私は美術史や美学の一般的知識に欠けております。かといって「かの国」の文化全般に通暁するわけでもなく、非常に狭い時期のあるアーティストを追い続けている。そんな私にも9/13(水)に救いの手は差し延べられました。

私が留学前ということと、指導教官が学長職就任し指導教官がドイツ語の教授に移るということで、現段階での博士論文計画をご高覧頂くことになったのです。

元々対象と時代、そしてケース・スタディーとして作品分析で用いる作品群(展覧会構成と建築プラン)は固まっていたので、一ヶ月前から日々弛むことなく概要とレジュメを書き続けておりました。表現に技巧性を求められたものの、何とか博士論文執筆許可が下りました。

しかしながら、基盤分野が全く異なるのに、核となるのは、全体主義時代(1930年代)おいて対象とする芸術家がミメーシス(模擬的再現)とエクスプレッション(自己表出)を包含し権力者ないしは神に近い立場にあったのではないか。それによって、教条主義的な社会主義リアリズムという芸術潮流の只中で、作家性を保つことが出来たのではというもの(その芸術家の名前がある言語で「神」という意味なのです)。結局、指導教官の影響、どっぷりだったんだなーと改めて実感した。

書けるんだろうか。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

 とりあえず読んでみた。難しいというかマニアックな印象。他の友人には薦めにくいなあ。

U→ さんのコメント...


>ほかの友人には薦めにくいなあ
了解、随時噛み砕いてかけるよう、精進いたします。
というか日常的なことを取り上げないといけませんな。
コメントありがと