当時のモダニスト和辻が、
おおよそ対極に位置するであろう古都奈良を巡り、
その印象を綴った著作。
環境というものが人間の思想形成にいかに作用しているか。
下手をすると、新ラマルク説やルィセンコ学説に走りそうだ。
さて、なんで古寺なのかというと、
外国の友人があちらの景観を写真で送ってくれたので、
そのお返しに先日近所にある弘明寺(瑞応山蓮華院)で写真撮影してきました(下)。
自分の分野で引っ張れば、建築を住まいの装置として見た場合、
環境の一部でありそれが形態を決定付けているという側面をもう一度思い起こさせてくれる。
これに該当するのが、コルビュジェ唯一ソ連での作品、《ツエントロ・ソユーズ(旧ソ連消費者協同組合中央同盟)ビル》(下二つ)。
モスクワは寒いから、コルビュジェの思い描くガラス一面ファサードにはならず、防寒効果のある赤茶の凝灰岩が用いられ、今に至る。
コルビュジェは「こんなの俺の作品じゃねぇ!」として、自らの作品リストには加えられていません。
こうした点を鑑みるに、建物とは環境と景観、ファサードとイデアという様々な要素が混合するわけだけれど、どうも「好きな建造物」とはファサードとイデアばかりが主張しすぎる。
環境と景観という点からもう少し建築物をとらえ直さないと、上記した和辻が古寺で体験した独特の場というものが見えてこないかも。
戒められました。寺に行って。
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