1974年、作詞:安井かずみ 作曲:馬飼野康ニ、唄:夏木マリ。
本日、とある試験を受けてきたんですが、
全く見込み違いの対策をしていたので、うまく対処できず
納得できない答案に。
夏のせいかしら?
と言い訳。
しかし、夏木マリすごいな~。
この頃から、妖艶という表現しか当てはまらないような雰囲気を確立している。
失礼な表現になってしまうが、今は「老いてなお盛ん」という感じでアグレッシヴさを失わず、
瑞々しささえ感じられる。エロイしね(私の中で最高の褒め表現)。
実家にこのLPがあったんで、わが父もこんな女性が好きだったようだ。
血です。
バックの曲もいいっす。
最初の入りなんて、《Caravelle》(Jazzanovaの代表曲)の4分位に入る激しいドラムソロに通じるものが感じられます。
よくよく考えたら、夏木マリのこの曲のコンガと彼女の歌唱の相性のよさが、日本でも名だたるパーカッショニスト斉藤ノブとの結婚に繋がったのではと勝手に推測。
考えすぎか。
5/20/2009
5/12/2009
サンフランシスコに行くなら…
頭に花輪を被ってくれよな。
そこで親切な人たちと会うだろうし。
という歌詞。
《San Fransisco(Be sure to wear some flowers in your hair)》 - 1967年、ジョン・フィリップス作詞、唄スコット・マッケンジー↓。
曲調と歌詞からどこか古きよき時代の西海岸を彷彿とさせるが、ヒッピー文化の片鱗でもある。
ここでいう「ヒッピー文化の片鱗」とは、「Love&Peace」じゃなくて、ドラックによるあのテンション。
この曲ががらりと変わった形でremixされたのが2005年。
Global Deejaysというグループの《The sound of SanFransisco》という曲。
PVがエロい↓。
エロいところに目を奪われつつも、
PVのカットに注目。
これはドラッグ中の人間による視線だと誰かが言っていた。
テクノとかダンスミュージックが好きでない人からは、
眉を顰められそうだ。
しかし、歌詞の本意って、
実はこのGlobal DeejaysのPVが体現しているのではないか。
ヒッピーという文化形態が当時の音楽技術や映像で補えなかったとすれば、
やっと最近(といっても、既に4年前)になって体現できたということか。
とりあえず、サンフランシスコにはヤク中のハイテンションで行け。
と勝手に解釈。
The Mamas & the Papas のファンの方々、すみません。
そこで親切な人たちと会うだろうし。
という歌詞。
《San Fransisco(Be sure to wear some flowers in your hair)》 - 1967年、ジョン・フィリップス作詞、唄スコット・マッケンジー↓。
曲調と歌詞からどこか古きよき時代の西海岸を彷彿とさせるが、ヒッピー文化の片鱗でもある。
ここでいう「ヒッピー文化の片鱗」とは、「Love&Peace」じゃなくて、ドラックによるあのテンション。
この曲ががらりと変わった形でremixされたのが2005年。
Global Deejaysというグループの《The sound of SanFransisco》という曲。
PVがエロい↓。
エロいところに目を奪われつつも、
PVのカットに注目。
これはドラッグ中の人間による視線だと誰かが言っていた。
テクノとかダンスミュージックが好きでない人からは、
眉を顰められそうだ。
しかし、歌詞の本意って、
実はこのGlobal DeejaysのPVが体現しているのではないか。
ヒッピーという文化形態が当時の音楽技術や映像で補えなかったとすれば、
やっと最近(といっても、既に4年前)になって体現できたということか。
とりあえず、サンフランシスコにはヤク中のハイテンションで行け。
と勝手に解釈。
The Mamas & the Papas のファンの方々、すみません。
5/06/2009
マイクロメガス
1978年、ダニエル・リベスキント作(下)。
ポスト・モダンの旗手と呼ばれた頃の作品。
この頃の彼の作品はダイナミクスを感じさせるけれども、
「静謐な破天荒さ」とでもいうような、計算高い「やけっぱち」を感じる。
純化した形態はゼロとなり、やがてマッスとなり、建物となり、都市へと拡張していき、
マレーヴィチは共産主義の次に来る神の啓示たる高次元を目指す。
その啓示が有効性を失い、天から地上へ一気に降り注いだ。
世界でも有名な、スイスのある建築大学の研究グループが、
リシツキイとリベスキントの比較研究をしていたので、
こんなことをGW中に考えていた。
いつかリシツキイの研究に戻ろう。
ポスト・モダンの旗手と呼ばれた頃の作品。
この頃の彼の作品はダイナミクスを感じさせるけれども、
「静謐な破天荒さ」とでもいうような、計算高い「やけっぱち」を感じる。
純化した形態はゼロとなり、やがてマッスとなり、建物となり、都市へと拡張していき、
マレーヴィチは共産主義の次に来る神の啓示たる高次元を目指す。
その啓示が有効性を失い、天から地上へ一気に降り注いだ。
地上の人間が認知できる形態となって。
と勝手にポストモダンの流れを物語化。
と勝手にポストモダンの流れを物語化。
世界でも有名な、スイスのある建築大学の研究グループが、
リシツキイとリベスキントの比較研究をしていたので、
こんなことをGW中に考えていた。
いつかリシツキイの研究に戻ろう。
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