山下達郎、1992年(下)。
浦沢直樹ブームに便乗して、
アトムを引き合いに出したいところですが、
《イオファンの子》という建築家グループがモスクワにいる(下図が代表作)。
今週の水曜夜半に無事モスクワ入り。
一年前に住んでいた寮に一年間だけという条件で、住居を確保し、
早速情報収集。
出発直前まで研究と学会誌の編集に追われモスクワの建築ならびにアートシーンを全く知らなかったので、これらに関する雑誌を買い漁る。
その中でわかったのは、どうやら来週から第三回国際モスクワビエンナーレが始まるということ。
もうひとつは、自分の研究に関わるんだけど、《イオファンの子》という建築グループがおり、1930年代ないしクラシック建築様式を惜しげもなく利用し設計を行う若い建築家が増えているということ。
説明しておくと、イオファンという建築家はかの《ソヴィエト宮殿》コンペの最終案(下は1931年の原案)に選出された建築家で、その後も1937年のパリ国際展覧会のソヴィエトパヴィリオンを担当したりして、ソヴィエト建築史におけるいわゆる「全体主義建築」の中で重要な位置を占めた建築家。
ビエンナーレは今住んでいる寮の学校も会場になるから、まぁ自然と接するだろうとして、
二つ目が非常に気になる。一年前では、建築美術館の館長が「まぁ、アメリカとドイツで熱い研究だからね~」と言っていて、「モスクワはまだその熱に冒されていないよ」なんて言っていたが、膾炙したということか。
ビエンナーレでは「ペーパー・アーチテクチャー」というプロジェクトが開催され、1920年代のアバンギャルド建築の流れを汲んだ1980年代のソヴィエト建築、つまりほとんど実現しなかった(というか実現が目的ではなかった)建築のアーカイブとそれらの設計図が展示される。だから、二つの事は結局表裏一体という形で結びついている。
今度の火曜日に受け入れ先の指導教官と面接して博士論文の方向性を決定するとのこと。その際に聞いてみるか。
つーか面接対策しないとマズいなー
話の落ちとしては、「誰もが夢見る」ものの代表ということで。
というか、小松崎茂が描いた未来図っぽい(下)。
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